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「やりたいことをやる」よりも「やりたくないことをやらない」
最近すっかり投稿しなくなったFacebookだけど、久しぶりに見てみるとこんな記事があった。
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フォローしてないけど、自動的に出て来る記事で、「らいふさぽーと」というところから出てる記事だった。
私は仕事で悩んで辞めた後に、心理学を学んでいたことがあって、
そこでの最大の教えが「やりたくないことをやめて、やりたいことをやる」
だった。
日本語の構文的に、後から来たものが印象に残るもので、
ずっと「やりたいことをやらなくては」と思ってた。
心理学の師匠は、悩んでる人は真面目だから、やりたいことも「やらなくては」、という気持ちで探したり、やっったりしたらしんどくなる、と教えてくれていたのにも関わらず。
私は「やらなければならない」ことが中心になりがちで、
「やりたいことをやる」がなかなかできてなかった。
学校や社会っていうのは、「やらなければならない」ことがいっぱいで、それに忠実でいた結果だと思う。
だから、「やりたいことをやる」が体現できててる人がかっこいいんだ、と新たに刷り込まれた。
自分にできないことをやってる人って、うらやましくなってしまうもの。
「やりたいこと」をやってるのがかっこいいし、やりたいことを見つけないと、と思ってた。
これやりたいことかも、と無理に見つけてやったことは、ただ単にお金の無駄遣いだったなと思うこともある。
ずっとやりたいことを制御してたから、思い切ってやって「やっぱり最高ー」と思うこともある。
でも、「やりたいことをやる」より「やりたくないことをやらない」ことの方が重要なんだ。
たしかに師匠も、「やりたくないことをやめて、やりたいことをやる」と言ってた。
「やりたくないことをやめる」というのが先に来るのだ。
もしくは「やりたくないことをやらない」
やりたくないことをやめる・やらないためには、
単純にやめたらいいこともあるだろうし、
そのための工夫がいることもあるだろうし、
代替案がいることもあるだろう。
いずれにしても、
「やりたいことをやる」っていう特別感のあることでなくても、
「やりたくないことをやらない」という日常が続くことが心の安定は保たれるのかも。
ハレとケでいう、ハレは時々あるものだからね。
ケがどれだけ気分良くすごせるかってことが大事なんだろうな。