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小樽・祝津のニシン漁関係の建物を1日で歩いてまわる。〔茨木家中出張番屋→小樽貴賓館(旧青山別邸)→小樽市鰊御殿へ〕

私が今回のモニターツアーで楽しみにしていたことの1つは、小樽・祝津エリアのニシン漁の歴史を学ぶことでした。3日目の午後は、ガイドさんに3つのニシン漁関係の建物を案内していただきました。一度に複数の建物を見て回ると、記憶が新しいので比較しやすく、ニシン漁の時代を自分なりに多角的に捉えられた気がしました。
また、歩いて回ったことで、今の街並みに古い建物がどう共存しているのか、それぞれの建物や海との距離感はどうか、といったことも体感できて面白かったです。

今回歩いたルート

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この日に散策した道順はこのようになります(Google Map をもとに作成)。午前中におたる水族館に行って、青塚食堂で昼食・休憩。午後13時半に茨木家中出張番屋で集合しました。小樽貴賓館の建物を見学し、茨木家中出張番屋へ戻り、小樽市鰊御殿へ行って、16時過ぎに解散しました。

広範囲に見えますが、ホテルから坂を降ったところにある青塚食堂まで850m(徒歩10分ほど)ですから、距離はそれほどありません。ただ、海沿い以外は全体的に坂になっているので、歩きやすい靴で散策されることをお勧めします。

茨木家中出張番屋

茨木家中出張番屋(いばらぎけ なかでばり ばんや)は、祝津の3大網元である茨木家が建てた建物です。番屋とは、春先にニシン漁のために本州から出稼ぎにやってきた人たちが宿泊するための施設です。

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この番屋には親方は住んでいませんでした。下の写真は、茨木家住宅の裏にある「はなれ」です。繊細な格子、屋根とひさしの組み合わせが美しく、漁で栄えていた当時の様子がうかがえます。

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番屋はシンプルですが、しっかりした造りです。入り口から入ると中央に土間があり、向かって左が板の間です。こちら側はぐるりと棚のようになっています(ネダナというそうです)。これを二段ベッドのように使い、そこに漁夫たちが寝ていました。土間の向かって右側は、畳の間。こちらは船頭たちが寝泊まりしていたそうです。役割に応じて生活スペースが分けられていたんですね。春先に本州から来て暮らすのは、寒くて大変だったはず。けれど、忙しい時は活気に溢れていただろうと思います。

茨木家中出張番屋は、2009年から2010年にかけて大規模な改修工事が行われました。工事前に行われた調査では、この建物が古材を使って建てられていたことや、茨木與八郎の出身地である山形県千代田村(現在の遊佐町)の人々が関わっていたことなど、新たな発見もあったそうです。

現在はニシン漁に関するパネル・木製のモッコ(獲れたニシンを背負う箱のようなもの)・釜などが展示されています。また、地域の人たちに使ってもらえるよう、レンタルスペースとしても利用できます。当時の形を残しつつ、台所やトイレは新たに整備。Wi-Fiも利用可能で快適でした。この取り組みは、2011年に第19回小樽市都市景観賞も受賞しています。まちおこしの拠点として、歴史を語り継ぐ場所として、さらなる活用が期待されますね。

【茨木家中出張番屋 開館時間】
開館日:令和2年6月5日(5月2日更新)~10月11日の、金・土・日と祝日
見学寄付金(番屋維持管理費として): 200円(中学生以下無料)

開館時間は変更の可能性もありますので、詳細はNPO法人小樽・祝津たなげ会にご確認ください。

小樽貴賓館(旧青山別邸)

次に向かったのは、小樽貴賓館(旧青山別邸)です。建物内部の写真撮影が禁止されているので、庭や屋根瓦の写真しかありませんが、どこも豪華絢爛。こんな建物が北海道にあったのか!と驚きました。最高の木材と手の込んだ細工、当時名を馳せた絵師による屛風画、豪華な調度品、2階から見える美しい海の景色に圧倒されます。国の登録有形文化財にも指定された北海道屈指の歴史的建造物です。


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この邸宅は、祝津の3大網元である青山家の「別荘」。現在の価格に換算すると、総工費は約30億円。6年半余りをかけて作られ、大正12年(1923年)に完成した豪邸です。ちなみに、青山家本邸は故郷の山形県にあります。初代網元の青山留吉は1859年に漁夫として雇われたのち、漁場の権利を取得して一代で財をなしました。1908年に家督を譲り、故郷の青塚に隠居しています。この別邸は、二代目の政吉と娘・政恵が建築しました。青山家の番屋は1919年に火事で焼失しましたが、再建され、1990年に北海道開拓の村に移築・保存されています。

本邸も番屋も荘厳な造りと聞きました。けれど、「別邸」でこの規模、しかも娘の夢を叶えた美術豪邸って・・・どれだけお金持ちだったんだろうかと、思わずにはいられません。ちなみに、小樽貴賓館にはレストランも併設されています。和装の結婚式もできるそうですよ。

【小樽貴賓館の営業時間】
夏(4〜10月):9時〜17時
冬(11〜3月):9時〜16時
入館料:大人1,100円(小学生550円) 
駐車場あり。年末年始以外は無休。

小樽市鰊御殿

最後に訪れたのは、小樽市鰊御殿です。高台にある鰊御殿は小樽のシンボルの1つになっています。

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この建物は、ニシン漁を営んでいた鰊親方の田中福松が1891年から1897年まで7年の歳月をかけて建てたものです。かつて積丹の泊村にありましたが、北海道炭礦汽船によって移築され、その後小樽市に寄贈されました。1960年に「北海道有形文化財・にしん漁場建築」として文化財に指定されています。

【小樽市鰊御殿 開館時間】
夏(4/8〜10/16):9時〜17時
冬(10/16〜11/23):9時〜16時
入館料:大人300円、高校生150円、小中学生は無料。(団体割引あり)

鰊御殿の特徴は、茨木家中出張番屋とは異なり、親方とその家族、使用人、漁夫が一緒に暮らす造りになっていることです。このように生活空間が建具で仕切られて隣接しているのは珍しいそうです。親方も一緒に住んでいるので、建物が大きく、座敷もあり、漁夫だけが住む番屋よりもかなり豪勢です。

現在は、ニシン漁で使われた器具の展示だけでなく、北前船のパネル展示も充実していました。日本遺産に「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」が登録されたことを受けて、寄港地の1つであった小樽でも北前船の役割や当時の様子が紹介されていました。

鰊御殿で北前船の存在を知り、ようやく「なるほど!」と合点がいきました。祝津でとにかく沢山のニシンが獲れたこと、綿花栽培などの良質な肥料として重宝されたこと、それによって莫大な利益を得たことはわかりました。けれど、最北の北海道で何百人もの季節労働者を雇い、獲れるだけニシンを獲り、加工し、本州へ運んで売る、という一連の事業がどう成り立っていたのか、そんなに沢山のニシンを誰がどうやって買い取って売っていたのか、いまいちピンと来ていなかったのです。北前船のパネルを見て、一連の流れが、私の頭の中でつながりました。

北前船については「北前船日本遺産推進協議会」のサイトがとてもわかりやすく、情報量も豊富です。このサイトでは、北前船を以下のように定義しています。

北前船とは「①江戸時代中期(18世紀中頃から明治30年代)」に「②大阪と北海道を日本海回りで」「③商品を売り買いしながら結んでいた商船群」の総称

北前船は、まだ商品の流通網が限られ、価格の情報も共有されていなかった時代に、命がけで航海した男性たちが、寄港地で品物を売り買いして商売をしながら莫大な利益を得ていました。ニシンによる利益は特に大きかったようです。以下も、北前船日本遺産推進協議会のサイトの引用です。

上り船のニシンで大儲け」:千石船の1航海で千両(今なら6千万円〜1億円)という北前船の利益の中で、「下り船は百両」ほどです。残りの9百両の利益を生んだのは、大阪へ戻る上り船です。最大の商品は、ニシンでした。春になると海の色が変わるほど海岸に押し寄せた北海道のニシンは、煮て魚油を絞り、残ったニシン粕を発酵させて肥料にします。これが仕入れ値の5倍、時には10倍で売れたのです。北前船の大もうけの秘密はニシンだったと言ってもかまいません。

「仕入れ値の5倍・10倍」で売った北前船の船主たちの利益を考えると、めまいがしそうです・・・明治初期をピークに、北前船は次第に本数が減り、明治30年ごろには使われなくなりました。電信・汽船の普及によって別の商売の手段が生まれたことや、日露戦争で北海道周辺の海が危険になったことが理由だそうです。

北前船がなくなった後も小樽のニシン漁は続くので、北前船によってのみ、ニシン漁が栄えたとは言い難いです。ただ、江戸から明治時代にかけて、これだけ日本各地に需要があり、豪快に買い取ってもらえるネットワークが築かれていたのなら、巨大ビジネスとして成立し、近代日本の中で小樽・祝津が栄え、その後も成長したことにも納得できました。

海の色が変わるほど、大群で押し寄せたニシンでしたが、1926年に入ると漁獲量が激減し、1954年を最後に、祝津では全くニシンが獲れなくなりました。元々、年によって漁獲量にはばらつきがあったそうですが、本格的に不漁になって以来、まちの様子も次第に変わっていきました。ここ20年ほどは稚魚の放流の効果もあってか、ニシンが獲れるように回復しているそうです。かつてより、かなり小規模ですが、現在は食用がメインなので問題はないのだとか。私たちもこの日、青塚食堂でニシン焼きを頂きましたが、油が乗っていて、とても美味しかったです!

小樽・祝津という地域は、私が想像していた以上に、海を介して日本中と繋がり、栄えた、ロマンの溢れる場所でした。この小さな地域で獲れたニシンが本州の様々な地域に届けられ、その地域の産業を潤したと考えると感慨深いものがあります。地域の歴史を深堀するのも、地域を連帯的に学ぶのも面白いと思いました。日本の近代化の歴史を学ぶ上で、ニシン漁の歴史は面白いテーマの1つです。実際に歩いて建物を見たり、展示を見たり、ガイドさんのお話を聞いてみませんか?

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