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グラフで人生曲線を作ってみたらシャーリーンの愛はかげろうのようにが聞こえてきてちょっと泣けてきた

I've been to paradise, but I've never been to me…

Canvaで人生グラフを作ってみました。

昨日、JディスカヴァーのNさんに出版相談をしていただいて、「プロフィールは今現在のポジションだけじゃなく、生まれてから本を出す時点に至るまでの歴史が見えるくらい作り込んでください」と言われまして。

じゃあ、可視化出来る方が良いなと思って、グラフをつくってみましたので、これから30代、40代、50代になる方は参考になさってください、反面教師として。


私の人生グラフ

そんなんで、#50代♀更年期障害@ウクライナ戦争中の私が人生グラフをつくってみたら、こんな風になりました。

陰キャの10代・引きこもりの20代

一目瞭然かと思いますが、私の場合、20代が社交面でどん底、40代がピークでした。普通、20代がピークの人が多いと思うんですが、私は子供の頃、本ばかり読んでいる大人しい子で、10代後半から20代にかけて拒食症で引きこもっていたため、体力はなく、恋愛にも仕事にもお金にも、ついでに将来にも無関心。陰キャの極みでした。

ただ、この間、本ばかり読んでいたので、読書量はこの時期がピークでした。30代以降、ライターとして働くんですが、その引き出しはすべて10代、20代に読み蓄えたもので賄っていたといっても過言ではありません。

知性も10代までがピーク。勉強しなくても成績の良い優等生で、親が褒められる程度の賢い子供でした。今思い出しても、子供の頃のほうが何でもよくわかっていました。ただ、頭でわかっていても何も出来ないので、所詮は知能が高いだけの子供です。

30代 遅まきながらの社会人デビュー

30代になって摂食障害がおさまり、体重もちょっと痩せてるくらいで安定、体力と明るさがでてきたおかげでモテ始めます。外の社会への関心も回復して、大学院に復学。国際関係のイベントに参加したり、海外にでたりして「生きてる感」を得られるようになります。

ただし、読書量はここで、人生で初めてがくんと落ちました。上に書いたように、10代、20代の蓄積があったため、授業は簡単で、新しくインプットする必要があまりなかったのです。「書を捨てよ、町へ出よう」の時期でした。

40代 やりたいことが何でも出来た祭の季節

30代に始めたことが全て開花したのが、40代です。モテ期も来ました。何で40代でモテ期が来たのかというと、40代はほぼずっと外国にいたので、外国人の目には30歳そこそこに見えたのです。
 
仕事も順調で、本職の日本語教育とライター稼業に加え、地元の企業でテスター(品質管理)やアノテーター(注釈挿入)の受注も受けるようになり、生活が安定。マルキーズ(長男猫)とジョーリック(次男猫)がわが家に来たのもこの頃で、20代で実家を出て以来、久しぶりに猫ママ生活が再開。お家生活も充実してきました。

不規則な生活で体重は若干増えたものの、まだ40キロ台前半。スレンダーでグラマーと言ってもらえるギリギリの体型でした。体力も充実していて、夕方6時まで会社で働いたあと、9時まで副業の書き物、その後飲みに行くという生活でした。毎日が楽しくてしょうがない頃でした。

50代 祭の終わり

40代が祭の季節なら、50代は祭の終わり。薄ら寒い季節の到来です。まず、寒い季節に備えるように、50代になるや体重が50キロを超えました。これまでにも50キロをちょっとオーバーすることはあったのですが、それとは明らかに安定度の違う肉が背中と二の腕に登場。長年着てきたタイトなスーツのジャケットが入らないのです。

上半身が太るとショックですよ。お腹がぷよってパンツのボタンが止まらないなんてのは、ピンチヒッター程度の贅肉。しかし、ジャケットが入らないとなると、こいつはスタメン候補です。40代の2キロはちょっと根性だせば落とせましたが、50代の脂肪は「こいつはちょっとやそっとじゃ落ちねぇ」と見ただけで白旗あげそうになるコワモテの脂肪なんですよ。

「そろそろやばいなぁ」と「まだ大丈夫」の間を行ったり来たりしていた私の背中を「今やらないともうやばいよ!」に突き出したのが、華原朋美と元カレでした。20代の頃の私は華原朋美と身長が同じ、体重も同じ、スリーサイズも同じでした。その華原のともちゃんがスゴイことになっているのをネット画像で初めて見た時のショックたるや。20代の頃同じような体型だった彼女がこんなことになってるなら、このままでは私も・・・というショックです。

元カレ(年下)に「太ったかな?」と聞いたところ、「太った」と即答されたのもこの頃。体型にもよりますが、50キロ代前半だと顔にはさほど出ないため、女友達や年上の知人に「太ったよね?」と言っても、「太ってないよ」「それくらいで良いよ」と言われます。当時の彼氏(年上)にいたっては「それくらいの方が好き」と言う人。昔の自分を知ってる元カレのシビアな一言はダイエットへのきっかけになりました。

ちなみに現在は、「いまご飯食べたとこで、洋服を着て、スリッパはいて52キロだから、裸で食後なら49キロくらい」と言い張ってます。

やってきました、更年期障害

そして、来ました、更年期障害というやつが。何か変だなと思ったのは、講義やレッスンの最中、生徒たちは涼しい顔をしてるのに、私だけ汗をかいてることに気づいたとき。私ってこんな汗かきだったかなぁ、太ったからかなぁ、と思ってるうちに、強烈な腰の痛みがきて、寝返りをうっただけで猫たちが飛び退くような悲鳴をあげるようになりました。

その頃はまだ母が生きていたので、電話で話しているときに相談すると、「ああ、それ、私もやった。更年期やろ。私も重かったから、あんたもきついかもしれんなぁ」と言われ愕然。若い頃に見た、顔に玉の汗を浮かべた母の顔を思い出して、「私いま、あんな顔してるのかぁ」と暗澹としたものです。

更年期障害+戦争+子猫育て+失業

そういうときに、戦争が来やがったのです。戦争は単品でもキツイもの、更年期障害とダブルでくると激キツイですよ。さらにここに、保護猫が来るのです。一匹はやさぐれた落ち武者みたいな長毛種の黒猫(アトス)、もう一匹は生まれて間もないいたずらな子猫(ダルタニアン)。

一人暮らしの更年期障害のおばちゃんが子猫を育てるというのは、お祖母ちゃんがワンオペで孫を育てるようなもの。しかも、13歳になった長男猫には痴呆の兆し、12歳の次男猫は腎臓病と、こちらの介護もあり、猫たちは可愛いけど、体力的に大変です。

追い打ちをかけるように、長年付き合っていた恋人が他界。戦争がきっかけで、会社の職も失います。40代でピークにあった体力、仕事、恋愛が50代にはいってすべて消滅。さあ、これからどうする、私?いまここです。正念場ですな。

愛はかげろうのようにがきこえる今

そんなんで、50代の今は、安定企業だった会社の職を失って経済的にはどん底、好きな執筆を出来るので精神的にはちょい安定、更年期で体力は部分低下、恋愛体力はほぼ半減、読書量は微増、陽気さだけでもっているという状態です。陽気さは躁鬱の躁状態。元気なときは良いけれど、ひっくり返ると怖いという自覚もあります。

こうして人生顧みると、シャーリーンの「愛はかげろうのようにI've been to paradise, but I've never been to me」が聞こえてくるような。20代でこの曲を聞いたときも、30代で聞いたときも、語り手の「ちょっとお聞きなさい」という忠告を聞かず、「だって楽しいんだもん」と突っ走った私でした。リアルでも、当時40代、50代くらいの女性たちから、何なら母からも「地道な男と結婚しなさい。いまが最後のチャンスよ」みたいなことを何度言われたことか。

そして結局、「愛はかげろう」の彼女と同じような人生の終盤を迎えているわけです。いまの環境でこの歌を聞くと、感慨深いものがあります。いまの私が若い女の子に忠告するなら、やはりこの歌の彼女と同じようなことを言うんだろうなぁと思います。平凡な幸せが一番だよ、お金持ちじゃなくても、イケメンじゃなくても、ちゃんとした人と結婚しなよって。私もいまなら、平凡な男と添い遂げたいと思う。

でも、実際の私は、若い子たちに忠告したりはしないし、もしもう一度自分が生き直すとしたら、やっぱり同じような生き方をすると思うんですよね。失敗すると分かっていても、平凡な方が良いと分かっていても、間違った道を選ぶんだろうなぁ。分かるかなぁ、この気持ち?

「愛はかげろうのように」、聞いたことのない方は聞いてみてくださいね。

こちらは日本語の歌詞付き。日本語の歌詞が付いたバージョンは幾つもあるんですが、どれも個性的な訳詞です。自分の思いが溢れちゃうんでしょうね。

こちらはシャーリーンの歌うオリジナルです。

皆さんも一度人生グラフを作ってみてください。色んな自分が見えますよ。皆さんのグラフが出来た時、どんな曲が頭に流れたか、よかったらおしえてくださいね。

安成(あんなり)でした。

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