父の旅立ち エピローグ2
ケンシロウに「おまえはもう死んでいる」って言われて、え?っと思う間に炸裂して終わりを迎えるのと違って、病気で苦しみながら段々弱って「もう死んだ方がマシや」と思って生きているのは苦痛でしかない。父も亡くなった日から逆算して6日前くらいからだったか医療麻薬を使っていたようだった。(本人が書いたメモに事細かに書かれていた)
父の場合、呼吸器系が弱っていたので、恐怖感があったと思う。レイ・ブラッドベリの『10月は黄昏の国』の中にあった短編の呼吸が止まる恐怖を感じる様を描写したシーンが思い浮かんできていた。そして、苦しいのを何とかしようする父に、死を迎えることを望んだ。
ああどうか私は恐怖を乗り越えて逝きたいものだ。
おっちゃんたちは同じ大阪とはいえ、堺から駆けつけてくれて、いつも母と弟が頼りにして、父が元気な時は一緒に定年後の第二の人生をテレビ番組よろしく一緒に飲み歩きして楽しんでいたようなのだ。戦争で父親がマラリヤによる障碍者となり、シングルマザーの家庭で育って来た貧乏暮らしを一緒に励まし合いながら生きてきたんであろうことが感じられる。父の友人がおっちゃんの友人、仕事仲間でもあり、絆は深い兄弟だったようである。
パパ、私もな、病院で、訪問看護で、何度か人の死んでいく場面に当たって来たけど、みんな最後の最後は息を吸って止めるねん。そしてそこには平安があるねん。死に方ってそれでいいねん。大成功やって。爆弾で吹っ飛ばされるでもなく、まぁ、病気やったけど。
いつも優しいおっちゃん、ありがとう。
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