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不愉快な運転の車に出会ったら、産まれるんだねって思うことにしている

私は不愉快な運転の車に出会うと、一瞬で精神的に不安定になる。

危なくて事故起こしそうになって、ドキドキが止まらなくなるのだ。

そして、不愉快な車は誰かを不愉快にして、誰かが今にも倒れそうになっていることなんて知る由もない。ピューと走り去っていく。

私は心臓が飛び出しそうになりながら、とにかく落ち着かないと運転できないから、どこかに停車しようと駐車できる場所を探しながら運転する。

ようやく安全に駐車できる場所に車を止めて、しばらく深呼吸をしながら落ち着かせる。

しかし、この時に呼吸を頑張りすぎると過呼吸になりかねない。

家じゃないからこんな所で過呼吸になりたくない。

過呼吸にならない程度にと注意しながら落ち着かせる。

そして、しばらくして運転できる自信がついてから運転を再開する。

そして、こんな不愉快な出来事はその後一切思い出さないことにしている。

今日ねぇ。最悪な運転の車に会って散々だったんだから〜

なんて誰にも話さないし、自分自身にも今日は最悪だったな、なんて思い出さない。

思い出して、もう一度気分悪くなるなんて、ただでさえ損しているのに、これ以上不愉快になる必要はない。


 危険な無理な車線変更をしながらスピードを上げて走り去る車は、「産まれるんだね」と思うことにしている。

車の中にはお腹の大きい奥さんが
「産まれそう!ねぇ、急いで!ギャー!痛いよ〜〜」
と叫び

「よし、まかせとけ!」
とご主人はアクセルを踏む。

「みなさ〜ん!ごめんなさい〜!妻が苦しんでいるんで、急がせてもらいます〜!」

と叫びながら無理な車線変更をしながら進んでいく。

というのを私の頭の中で想像をする。

そうすることによって、普通なら不愉快になるマナー違反の車にも優しくできる。

元気な赤ちゃんが生まれるといいね♥

と心の中でつぶやく。

不愉快になるどころか優しい気持ちが溢れてきて、心がポカポカしてきたりする。

毎日の日常生活の中で見知らぬ人との関わりの中で、初めて出会ったのに素敵な笑顔で優しい言葉をかけられて、嬉しくなる時もあるし、

なぜだかわからないけれど、勘違いされて、文句など言われたりして、不愉快になることもある。

同じ出来事があっても、人それぞれ感じ方は違うだろう。

 私の中に入っていく不愉快な出来事は、私に入る前のフィルターでできるだけ優しく変換させようと心がけている。

見知らぬ人からの一瞬の不愉快な行為や言葉で自分の心を曇らせるなんて、悔しいではないか。

私だって、いつもは穏やかで優しくしていても、突然の電話で家族が事故に遭ったとの知らせを聞いた後、病院に向かう時に関わった見知らぬ人には素っ気なく接してしまうだろう。

だから、初めて会う見知らぬ人でも、もしかすると私と出会う前に、人生一番の不幸に遭ってしまった直後で、平常心でいられない状態で私を不愉快にするような行動を取ってしまったかもしれない。

そんな事を思ったりもする。

そんな私ではあるが、マナーの悪い車に向かって、スピードを上げて走り去る小さくなりつつある車に向かって、

「ごめんぐらい言えよ!!」
と今日も叫んでしまった私である。


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