44歳、社会人20年の振り返りと3つの幸運
本日、44歳の誕生日を迎えることができました。皆さんにはあまりキリが良い数字ではないかもしれないのですが、4月4日生まれの自分にとってはゾロ目、しかも4のゾロ目というのは大きなエネルギーをもらえるラッキーナンバーになりますので、この44歳になるラッキーイヤー2024年を数年前から心待ちにしておりました。
40歳になってから毎年1年間の振り返りをする習慣ができまして、実際に続けてみますと、点では見えなかった線での自分の好調不調のリズムやきっかけを見つけることができて自分自身と人生の操縦が少しうまくなった感覚があったのですが、今回このゾロ目44歳の誕生日のタイミングでこれまでの人生についても振り返ってみまして、次の10年、20年についてのヒントを得られたらと思います。自分自身の棚卸し目的で書いていますので少し長くなると思いますが、誕生日に免じてお付き合いいただけましたら幸いです。
社会人20年間の振り返りダイジェスト
まずは、この社会人20年間の出来事をダイジェストで振り返ってみたいと思います。(※正確には社会人丸21年間を終え、2024年4月から22年目でした)
2003年(23歳):新卒SONY入社、最高の社会人同期仲間は一生の財産
2004年(24歳):パソナグループに転職して社内起業、パソナアイ設立
2005年(25歳):平日土日関係なく終電でも帰宅できないベンチャー生活
2006年(26歳):事業の安定とともに万能感に溢れて尖っていた勘違い期
2007年(27歳):周りの好評価と裏腹な実力の足りなさに一人悩む躁鬱期
2008年(28歳):事業会社不採算で事業部化、巻き込んだ仲間との離散
2009年(29歳):結婚(1度目)、パソナグループ新規事業+4件立ち上げ
2010年(30歳):パソナグループを退職、4ヶ月ニートのまま海外放浪
2011年(31歳):タイの店舗事業会社で初海外就職、一兵卒から学び直し
2012年(32歳):カンボジア法人立ち上げ、シェムリアップ滞在10ヶ月
2013年(33歳):美容クリニック立ち上げ、中国から人材採用ルート開拓
2014年(34歳):インドネシアで人材会社JOBNEXTの創業Director
2015年(35歳):インドネシアでメディア会社Beautynesiaの創業COO
2016年(36歳):離婚。人生で2番目に落ち込んだ暗黒期
2017年(37歳):インドネシア人妻と結婚(2度目)、そして長女誕生!
2018年(38歳):Beautynesia社でインフルエンサー事業(Buzznesia)開始
2019年(39歳):メディア財閥CTcorpがBeautynesia買収、財閥傘下に
2020年(40歳):Covid19!4ヶ月間インドネシア入国できず公私疲弊
2021年(41歳):長男誕生! コロナ禍でのリモートワーク社内体制確立
2022年(42歳):次女誕生!インドネシアで良かったと思えた一年
2023年(43歳):1月11日 和食店「金のしゃもじ」グランドオープン
2024年(44歳):BeautynesiaのCEOに就任、HaibundaのCEOを兼任
幸運だった3つのこと
こうやって改めて20年間を振り返ってみますと、ほぼ毎年何か新しいイベントか困難かチャレンジすることが発生していまして、本当に忙しない、でも退屈しない20年間だったなと思います。
そんな中でもこれだけのことを乗り越えてこれたのは、かなりの割合で運の要素が強く、改めて振り返ってみても3つの大きな幸運によるところが大きいなと再認識しましたので、今後の自分への備忘録としてもここに残しておきます。
幸運 その1:節目節目での師匠・友人に恵まれた
自分の人生は「人との出逢いに恵まれた」、この一言に尽きると思います。この出逢った人たちが良質で、それぞれの分野で突出している才能に溢れる方々だったために、人生の大事な節目節目で彼らからのアドバイス、日々の言動からの気づき、自分の見えていないものを見せていただく経験を享受することができ、結果的に(当たり前のことかもしれないのですが) 師匠や友人の見えているものに近しいものを見たり考えたりすることができるようになったのだという自覚があります。
数え上げるとキリがないのですが、それでも節目節目で今の自分に影響を与えてくださった方々をここに挙げて感謝をお伝えさせてください。
小学生時代のピアノコンクールで「坊ちゃんはピアノが好きなんですね、貴方の音を聞いて私の耳が喜んでいました」というコメントをくださった、当時審査員長をされていたピアニストの下村 和子先生
高校3年生の時に音大への進学を諦め普通の大学受験に切り替えた時に、親身に受け止めて適切な受験勉強方法を指導くださった伊井 直比呂先生
大学3年生の夏に「花王のインターンシップ第一期生、一緒に応募しない?」と、企業インターンシップという選択肢があることを教えてくれてビジネスの世界に自分を連れて行ってくれた大学同期の関灘 茂さん
就職活動中に上記の関灘 茂さん紹介してくれた「ビジネス道場」という関西の学生コミュニティで出会った同年代、先輩方、そしてそのコミュニティをリードされていた鷲巣 大輔さん、櫻井 照士さん
企業インターンシップ6社目のIBMで、「長谷川さんはとても素敵な美学をお持ちですね、それをこれからも大切にして下さい」と「美学」という概念と自信を与えてくださった当時人事担当役員の小須田 秀厚さん
SONYの新卒同期の皆さん(一人一人名前挙げるとキリなくてごめん!)
パソナグループでの社内起業のチャンスと2億5千万円もの投資を24歳の若造にくださったパソナグループ南部 靖之代表、そして僕を発掘してくださったパソナキャリアアセット(当時)渡辺 尚社長
パソナアイ創業メンバー (実力不足で巻き込んでごめんなさい!深謝!)
20代ベンチャー時代の事業・経営・遊びの時間を共に過ごしていただいた当時同じようにベンチャー起業をされていた戦友社長の皆さん
生意気で荒削りな20代の自分を面白がって可愛がって仲間に加えていただき、変わらぬ温かいエールを今も尚送り続けてくださっている大久保組の皆さん(特に大久保 奈美さん、竹林一さん、安達靖さん)
パソナグループを退職して海外で何かしようとフラフラしていたときに、「長谷川さんみたいな人を探しているオーナー社長がバンコクに居まして、紹介していいですか?」と自分が海外に出るキッカケを作ってくださったEnjin 本田 幸大社長
海外未経験、中学英語な自分を「長谷川さんは新しい風を吹き込んでくれそうな気がするのよねぇ」といきなり要職に迎え入れて、ほとんどの重要ミッションを信じて任せてくださったAsia Herb Association 加瀬 由美子社長
シンガポールでお会いして1時間後には「長谷川さん、一緒にインドネシアで事業しよう」と言い出し、「バンコクでまだやることがあるので」とその場で断ったのにも関わらず、その後3回も半年間かけてバンコクまで来て「そろそろどう?」とアプローチしてくださって、最終的に僕をインドネシアに導いてくださった元オイシックス創業副社長でBeautynesia 創業CEOの吉田 卓司さん
海外事業ならではの問題を共有・共感できて、パンデミックや国際情勢にも負けずに現地で戦い続けている、東南アジアを主戦場に事業・経営をされている経営者、ベンチャー起業家の皆さん
まだまだ挙げるとキリがないですが、この方々誰一人抜けても、今の自分に辿り着きませんでした。この方々の一人一人の値千金の一言、もうこのタイミングしかないというピンポイントでのキラーパス、相手にはリスクしかないのに差し伸べていただいた手、そういった一つ一つの奇跡のバトンリレーが繋がって、今の自分があります。この奇跡的に良い師匠・友人に出逢ってこれたことが、最大の幸運であり今がある70%くらいの理由がこの要素だと思っています。
幸運 その2:タイミングがいつもちょうど良かった
幸運の2つ目は「タイミング」です。節目節目で起きるイベント、事件のタイミングが結果的にすごく良かったなと思うのです。
パソナグループで社内起業のチャンスを得た時も、あと数年遅ければSONYで少しは何か小さなプロジェクトを着手しているタイミングになったり結婚していたりして、そこで転職・起業というリスクある選択は取らなかったかもしれません。でも実際はまだ社会人2年目、名刺交換と議事録作成くらいしかできないくらいのレベルだったので、捨てるものが無く起業する選択を3日で決めることができました。
タイの女性首相インラック政権が2014年に軍事クーデターで転覆することがなければ、インドネシアでの事業のチャンスがあってもまだタイ拠点で別の新しいチャレンジをしていたかもしれません。でも実際に軍事クーデターが起き、タイでこのままチャレンジすることと、イスラム教徒の多そうな未知なるインドネシアでチャレンジすることの不確定度合いが自分にとっては同じように見えて、インドネシアでの新規事業をに踏み切ることができました。
2020年のCovid19による世界的パンデミックのタイミングも、会社的には大変だったのですが、個人的には結果としてすごく良かったと思います。このステイホームな社会制限のある時期に我が家の長男と次女が生まれてくれ他ので、自分も自宅で仕事をしながら育児にも関わることができて、新生児・幼児期の手のかかる時期にステイホームできたのがラッキーでした。
こちらもまだまだ挙げるとキリがないのですが、早ければ良い、遅ければ悪いということではなく、ちょうど良いタイミングで良い事件も悪い事件も降ってきたというのは運が良かったと思います。
幸運 その3:争いに巻き込まれることがほとんどなかった
僕は本当に争うことが苦手で、嫌いで、なるべく争わないで済むと良いなと思って日々生きているのですが、改めてこの社会人20年間思い返しますと、ほとんど誰とも争うことがないままやり過ごしてくることができたように思います。
やはり戦うのにはエネルギーを費やして心身疲弊しますし、その戦いによって他の物事が進まない、または遅れてしまうのが非常にもったいないと感じてしまいます。僕の親はどちらかというと戦う選択をすることを好むタイプでしたので、その姿を見てだいぶ早い段階で反面教師的に「戦わないで済むと良いな」と考えるようになったのだと思います。
また幸運その1に挙げたような良い人々に出会って良質なアドバイスや方向性を示してもらってバトンリレーで歩いてこれましたので、比較的争いの少ない道を最初から選べているというのも要素としては大きいのかもしれません。
とにかくここまで争いにほぼ巻き込まれないで20年間生きてこれたことで、本題・本業に毎年集中して取り組んでこれたのも大きな幸運だと考えています。
40代10年間の自分的SDGs
41歳になりましたタイミングで、40代の10年間を自分らしく生きられる持続可能な目標を設定しまして、以下のような記事を3年前に書き10年間はこの17の方針を軸に生きています。
この4つ目だけ年代わりでテーマを入れ替えていまして、
2021年:noteを毎週書く
2022年:副業でも貢献
2023年:アンラーニング
とやってきました。
今年2024年のテーマは「脱皮」としたいと思います。いくつか理由があるのですが、社会人20年でこれまで自分を良くも悪くも守ってきたスタイルからの脱皮、一つ上の視座・役割への脱皮、この数年間大きなリスクをとらずサナギの中に居たことからの脱皮、など今年はゾロ目パワーも借りながら自分が一皮剥けるように意識と時間を注いでみようと考えました。
ということで皆さん、もし今年どこかで僕と会話する機会がありましたら、「どう?脱皮できてる?進んでる?」とお声がけください(笑)
次の10年、20年に向けて
今回久しぶりに社会人生活20年間の振り返りと棚卸しをしまして、やはり自分にとってこれからも変わらない流れなのだろうと考えるのは、
物事のタイミングが良い、または良いタイミングを選択できている
ほとんど争わないで良い道を歩いてこれた、または選択できている
という2点です。ここは自分の性格上、これからもそうなるのだろうなと。
逆にこれから変えていく、または変わるであろうと思うのは、
これからは節目節目で良い師匠に出逢えるとは限らない、むしろ自分が師匠として相手に良い影響を与えるべき場面が増える
ということです。そういう意味でも今年だけでなく、これから10年かけて「脱皮」をしていく必要があるのだろうと考えさせられました。
以上、44歳になる誕生日のこれまでの振り返りと、今年はゾロ目パワーで「脱皮」をしていくぞという決意表明でした。いつも温かい応援をありがとうございます、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます!
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