写真展と未熟な私、その決意。
複数の人間が、それぞれに想いをこめてエネルギーを発すると、こんなにも素敵な空間が生まれるのだな。人の発する想いのエネルギーとはやはりすごいものだな。本当に美しいな。そう再確認した場でした。
純粋なエネルギーには、同様のエネルギーが集まる。
そのパワーに圧倒された2日間でした。
そんな空間の中、私はこのテーマを掲げ54点の写真を展示させていただきました。「展示した」なんていうとかなり烏滸がましく、あくまでみなさんが作り上げた土台の上にちょこんと座らせていただいただけ。少しばかりの表現をさせていただきました。
『屈斜路のそばで暮らした私の五年間』
2日間の開催、2日間在廊。思ったより居場所はなく、受付や外を右往左往するばかり。当然、自分の展示部屋になどなかなか近寄れないもの。朝、誰もいない展示場で、自分の写真を自分じゃない目線で見ようと必死でした。
写真をご覧いただいた人の目にはどのようにうつったのでしょうか。何を想っていただけたのでしょうか。私はというと、そのように思い馳せるだけでも、随分貴重な経験をさせていただいたものだと、今痛感しております。
ありがとう。月の森写真展。
皆で作る場。なんて素敵なんだ。そしてトライすることで得たことがたくさんあります。もう一度やりたい。ありがとう。来場いただいた全ての方、この写真展イベントに関わっていただいた全ての方に改めて大きな感謝を。ここに。
最後に
この写真展の準備をしていた期間、自分の写真に対してたくさんの過程を経て、多くの気づきを得ました。
・テーマを決める
・それに沿った写真をざっくり選定する
・何を伝えたいのか小テーマを決める
・展示レイアウトを決める
・特定の枚数に絞る
・印刷する
といった行程
この中で私は、大きなことに気がつきました。
『5年間撮影した写真はデータとしてしか存在していなかったこと』
これは選定過程で大きなショックでした。誰にも見てもらえるわけでもなく、撮影した本人にすらしばらく見られない写真たち。一体なんのために撮影したのか。見れば見るほど『写真とは一体なんなのか』深く考え深く向き合う時間となりました。
私はこの経験の中で、写真集にまとめよう。そう決めました。
タイトル(仮)
『屈斜路のそばで暮らした私の五年間』
小テーマ(仮)
屈斜路湖
白鳥
釧路川源流
豊かな森
死と生
生きることは食べること
厳冬の山
畏怖
大切な日常
これをしなければ、この写真たちはどこへ行ってしまうのか。
撮影した責任が私にはある。
5年間屈斜路湖周辺で撮影した記録にもきっと何かしらの価値はあるはず。
2023-2024の冬。
作業にとりかかろうと思います。
デジタルではなく物体へと。
確実に、少しずつ、写真を。
こんな時代だからこそ。