やはりロマンティック・アセクシャルをノンセクシャルと呼んでも問題ないようです
私はアセクシャルとアロマンティックを区別するように発現したり、公けでは性的指向を「アセクシャル」と名乗ったりする一方、Twitterのアカウントでは「ノンセク」と書いたりしているので「矛盾しているじゃないか!」と、内心では思っている方もどうもいたみたいです。
念のために説明すると、
アセクシャル:性的指向が他人に向かない人
アロマンティック:恋愛指向が他人に向かない人
のことです。
なお、度々誤解されますが、アセクシャルと無性欲とは異なります。
性欲と言うのは不随意の生理現象ですから、他人への指向とは一切関係ないものです。このことを明確にしておかないと、性暴力の問題もなかなか解決しないと思いますが、それはまた別の話として。
アセクシャルを「性的に惹かれることが無い」、アロマンティックを「恋愛的に惹かれることが無い」と定義すると判りやすいと思います。
アロマンティック・アセクシャルだと性的にも恋愛的にも他者に惹かれない人で、アロマンティック・セクシャルは性的に惹かれることはあっても恋愛的に惹かれることが無い人、ロマンティック・アセクシャルは性的に惹かれることは無いが恋愛的に惹かれることがある人です。
ただ、日本では「アロマンティック・アセクシャル」を「アセクシャル」ということがあり、「ロマンティック・アセクシャル」はそれを区別して「ノンセクシャル」と言われることがあったのです。
それで、私も恋人がいたりしますから、ネット上では詐称アセクシャル扱いしてくる人がいるなど、様々な誹謗中傷を受けたので「性的指向と恋愛指向は異なる」と強調してきました。
一方、ノンセクシャルと言う言葉を使うこと自体は特に否定してきませんでした。それどころか、私も使ってきたわけです。
その理由は一言で言うと「何となく」ですが(笑)、ノンセクシャルという用法を一概に否定する理由も特になかったので、そのまま使っていました。
さて、アセクシャルについての知名度はにじいろ学校さんが弘める等していましたが、初期から一貫してアセクシャルについての情報を発信してきたasexual.jp管理人の雪さんの見解がまずは重要ではないか、と言う感覚も私は抱いていた訳です。
そして、昨月この問題について雪さんがとても参考になる記事を書いておられることを知りました。
雪さんの記事は有料部分も含めて皆様に読んでほしいのですが、無料部分だけでも重要なことが書いてあります。例えば、これです。
アセクシャルの定義に恋愛指向を含めるのは日本だけの現象だと言う方も一部にはいますが、実際には海外でも当初はアセクシャルの定義が混乱していたようです。
そういう状況において、性的指向と恋愛指向の違いに配慮しつつ工夫したのが雪さんたち、当初のアセクシャルの発信者の皆さまでした。(詳細は雪さんの記事の有料部分をお読みください。)
ノンセクシャルという言葉がいつからロマンティック・アセクシャルの意味で用いられるようになったのかは判りませんが、雪さんによると2007年頃からでは、という事だそうです。
私が思うに、1980年代の森奈津子先生の小説『ノンセクシュアル』ではアロマンティック・アセクシャルとロマンティック・アセクシャルの双方のキャラクターが「ノンセクシュアル」と呼ばれているので、そこから来た用例かもしれません。
また、アロマンティックと言う用例が日本に伝わるのが遅れたのは、海外でもアロマンティックの定義が確立したのが遅かったのに加え、そもそも日本人にとって「恋愛指向=ロマンティック」と言うのがいまいちピンとこなかった可能性もあります。
今ではTwitterで言語を超えてやり取りをすることも珍しくなく「ロマンティック=恋愛指向」と言う用法も広まりつつありますが、「ロマン」と聞くと日本人は恋愛よりも寧ろ「理想主義」的なものを連想するのではないでしょうか?
そういう風に考えたら、ノンセクシャルという言葉が誕生したのも、それが日本人の感性にマッチしているのであれば、問題の無いことであると言う風に考えます。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。