内親王も親王に含めることを検討するべきでは
最近LGBT、私はSRGMと呼んでいるが、これに関連して注目されている古典作品が『とりかへばや物語』である。
「コトバンク」では次のように説明されている。
平安後期の物語。作者不詳。《無名草子》などによれば《古とりかへばや》と《今とりかへばや》の2種があり,現存本は《今とりかへばや》。大納言の2人の子,顔は瓜二つだが,性格は兄は女性的,妹は男性的,そこで父親は〈とりかへばや〉,男を女に,女を男として育てることにした。これに始まり,女装と男装,性倒錯を中心とした悲喜劇を経て,やがて本来の性にもどり,兄妹ともに栄えるという筋。特異な構想の作品。
コトバンクではほかにも様々な解説が載っているが、コトバンク掲載のどの辞書も重要な「設定」を記していない。
最近、改めてこの物語を読み直して気付いたのだが、この作品は確かに「兄妹が異性装をする」ことに特徴があるのであるけれども、この兄妹はそもそもトランスジェンダーではない。(詳細を言うとネタバレになるので止めておくが。)
そして、コトバンクもWikipediaも記していないことだが、この作品の特徴は女性皇太子が登場するということにある。(一応、Wikipediaには「女東宮」の表記があるが、これだと「東宮」とは別に「女東宮」がいるのかと誤解されかねない。)
朱雀院(上皇)にも天皇にも男の子がいないので、朱雀院の娘が「過去にも先例がある」ということで東宮(皇太子)になるのである。
が、その天皇に息子が生まれたので結局、その皇太子は廃位され女院になるという内容だ。
この物語が出来たころは平安時代末期から鎌倉時代初期の間とされるが、その頃に女性も皇太子になれるという認識が、フィクションにまで及んでいたことは興味深い。ただ、フィクションだからこそ書けた、と言う面もあるかもしれないが。
平安時代末期、後鳥羽上皇が娘の八条院を天皇にしようとして断念したこともあるらしいから、男性が皇位につくのが望ましいという認識が当時はあり、それが『とりかへばや物語』における女性皇太子廃位の設定にも影響しているのだろう。だが、何の罪もない皇太子を廃位するのは問題があるので、女院(上皇格)になったという設定を設けたようだ。いい加減な設定の多い当時において、かなり考え込んだ設定である。
一方、中世においてはフィクションにおいても「男の子がいないから」という消極的な理由で立てられる(男の子が生まれると廃位される立場であった)「女性皇太子」であったが、古代においては天皇に息子がいても娘が皇太子になる例があった。
言うまでもなく、孝謙天皇の例である。孝謙天皇は異母弟の安積親王が誕生していた後に、皇太子となった。『とりかへばや物語』も孝謙天皇の例を先例としていることは明白だ。
この時代、『養老律令』において内親王も親王に含められ、女王も王に含められていた。
英語のプリンスは男性限定であるが、日本の律令における親王や王は女性を指すこともあったのである。『古事記』『万葉集』も「王」がしばしば女性を指す(例:額田王)。
中世においては基本、女性は「内親王」や「女王」と表記されるが、律令法自体は形式的には存続しており、女性を「親王」「王」と呼ばないことが確定したのは、明治期の『皇室典範』制定後のことだ。
第三十一條 皇子ヨリ皇玄孫ニ至ルマテハ男ヲ親王女ヲ內親王トシ五世以下ハ男ヲ王女ヲ女王トス
この『皇室典範』の内容は『養老律令』とは全く違った。例えば、『養老律令』では天皇の子供兄弟のみが親王であり、玄孫を親王と呼ぶことはあり得なかった。
明治維新には『養老律令』以来の伝統を復興させた面もあったものの、伝統を改変した例もあったということである。その一つが、親王・王の称号を男性に限ることであった。
これは私の推測であるが、親王・王を男性に限定したのは、欧米のプリンスの用法を意識したものかもしれない。そうであると、欧米文明を見習っていた明治期はともかく、欧米文明の問題点が指摘される今となっては、見直す時期が来ているということも出来る。
今の政府は、美智子陛下に「皇太后」ではなく「上皇后」と言う、歴史上にない珍奇な名称を「特例」で授けたりしている。伝統を重んじる美智子陛下の心中は察するに余りある。
皇族の呼称は伝統的なものに戻すべきであろう。上皇后は皇太后にするべきである。
そして、その伝統の起源は『養老律令』のことであるのだから、内親王も親王に含まれる、と言うようなことを検討しても良いと思う。
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