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北方領土の日

 今日は北方領土の日です。
 この日は安政元年(西暦1855年、皇暦2515年)に『日露和親条約』が締結されたことに因みます。
 我が国は奈良時代から粛慎を服属させるなど、樺太・千島諸島近辺まで支配を及ぼしていました。鎌倉時代には日蓮聖人の高弟である日持上人が樺太布教を行いました。
 一方で、アイヌ民族の起源については諸説あるものの、古代より我が国はエミシと呼ばれた人々を同化させようと尽力してきましたが、同化を拒否した人々が存在していました。彼らは北海道や樺太のアイヌ民族やニヴフ民族の祖先の一つであると考えられます。
 歴史的に見て樺太や千島諸島が日本の領土であることは疑いの無いものでしたが、異民族の地であることを利用したロシア帝国は、樺太や千島諸島に宣教活動を行うなど、逆にロシア側への同化を推進しており、江戸幕府は概してそうした問題に無関心でした。
 その結果、『日露和親条約』では北千島と中千島をロシア帝国に割譲することを余儀なくされ、樺太は「日露雑居」の地とされました。
 その後『樺太千島交換条約』で日本は樺太をロシアに活動する代わりに千島諸島全島の領有権を得ました。ここまでは外交で平和的に日本の領有権が認められたものであり、我が国の千島諸島領有を侵略の結果であるかのように言うのは歴史改竄に過ぎません。
 明治38年(西暦1905年、皇暦2565年)に日露戦争の結果として『ポーツマス条約』が締結され、我が国は南樺太を奪還しました。これも戦争の結果とはいえ、過去に「日露雑居」の地であった部分を奪還したのであり、講和条約により失地を回復するのはよくあることです。
 千島諸島は当初から北海道に帰属し、樺太庁は当初は植民地扱いでしたが大正7年(西暦1918年、皇暦2578年)に内地扱いとなりました。
 さらに我が国はロシア革命の混乱に乗じた所謂「シベリア出兵」により北樺太の奪還も目指しましたが、実現しませんでした。もっとも、シベリア出兵による武力衝突を経てもなお、ソ連は南樺太と千島諸島が我が国に帰属することを認めたのです。
 そうした中、ソ連の指導者がスターリンになると昭和20年(西暦1945年、皇暦2605年)8月11日に『日ソ中立条約』を一方的に破棄して南樺太に侵攻してきました(中立条約破棄は9日)。
 我が国は国境線付近で抵抗を続けていましたが、8月15日に『ポツダム宣言』を受諾した後もソ連軍との停戦は成立せず、8月16日に遂にソ連軍の大規模な侵攻を許してしまいました。さらに8月18日にはソ連は千島諸島にも侵攻を開始しました。
 8月23日に北千島が、8月25日に南樺太が、8月31日に中千島が、ソ連に占領されました。これらはいずれも『ポツダム宣言』受諾後に行われたものです。
 南千島である択捉島と国後島は9月1日にソ連が占領しました。日本が正式に降伏文書に調印したのは9月2日ですので、ソ連は一連の軍事行動は合法であると主張しています。
 しかし、ソ連は日本が降伏文書に調印した後も侵攻を続け、千島諸島の一部ですらない色丹島を9月3日に、歯舞群島を9月5日に、それぞれ占領しました。
 つまり、現在ロシア連邦が「第二次世界大戦終結記念日」と称している9月2日よりも後になって色丹島と歯舞群島は占領されたのであり、また、この両島は千島諸島の一部でもありませんから、ロシアではなく日本の領土であることは明白です。
 南樺太と千島諸島は昭和37年(西暦1952年、皇暦2612年)の『サンフランシスコ平和条約』の第2条で日本が「放棄」することとなりましたが、同時に同条約第25条には『サンフランシスコ平和条約』に署名し且つ批准した国以外の利益のために日本の利益は「減損」されることは無いとあり、従って『サンフランシスコ平和条約』に署名も批准もしていないソ連のために日本が南樺太と千島諸島を放棄する必要は無いということになりました。但し、同条約第26条の規定によりその後三年以内に連合国と講和条約を結んだ場合には『サンフランシスコ平和条約』と実質的に同じ条件で結ばなければならないとあるため、もしも『サンフランシスコ平和条約』締結後3年以内にソ連と講和条約を結んでいたならば南樺太と千島諸島の放棄を改めて宣言する必要がありました。
 ところがソ連は日本との講和を拒否したまま、南樺太と千島諸島は愚か、色丹島と歯舞群島まで実効支配を強化していきました。
 昭和31年(西暦1956年、皇暦2616年)になってようやく『日ソ共同宣言』が締結され日本とソ連の戦争状態は終了しましたが、ソ連は色丹島と歯舞群島の将来における引き渡しを約束するだけで、南樺太と千島諸島の帰属については全く答えが出ませんでした。
 その後今に至るまでロシアは日本と正式な講和条約を結んでおらず、従って南樺太と千島諸島の領有権は日本に残留しているというのが、正しい解釈です。
 自民党政権は何故か南千島と色丹島、歯舞群島とを合わせて「北方領土」としていますが、択捉島と国後島は長く千島諸島の一部として扱われてきた経緯があり、この両島を千島諸島と切り離して考えるのは無理があります。その点で、まずは2島の返還を求めるのは一理がありますが、北方領土問題の全面的な解決を目指すには南樺太と千島諸島の領有権の問題に触れない訳にはいきません。
 政党要件を満たしている政党では、唯一、日本共産党のみが全千島諸島の返還を要求しています。立憲民主党の党員である私としては、立憲民主党もこの点で共闘野党である日本共産党と歩調を合わせるべきであると考えます。
 諸派の政党では、維新政党・新風と日本国民党、祖国再生同盟が南樺太と千島諸島の領有権を主張しています。また、過去に親左翼党派のアナキスト革命連合が南樺太と千島諸島の解放を主張していました。
 我が国の戦後政府は「売国無罪」を旨としており、南樺太と千島諸島の領有権については「未定」という曖昧な言葉で濁すばかりです。さらに中国共産党ですら日本の領土と認めている択捉島と国後島すら、事実上諦めようという人が出てくる始末です。
 そのような売国外交に終止符を打つためにも、ひと先ずは全千島諸島奪還を共闘野党の政策にしてみてはどうでしょうか?

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