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「反日本会議」は私が生まれた使命?

 若者はとんだ誇大妄想を抱くものである、と思って読んでいただいて構わない。
 私は平成9年4月11日に産まれた。普段西暦も用いる私も、何故か自分の生まれた年は年号で覚えている。
 さて、勘の良い方なら、表題との関係に気付くであろう。
 そう、日本会議が出来たのも平成9年(西暦1997年、皇暦2657年)のこと。
 しかも、私は生長の家の信者の家に生まれた。
 日本会議の本部事務局を担っているのが日本協議会で、当時は日本青年協議会と言っていた。日本青年協議会は「反生長の家」の団体である。
 より詳しく言うと、生長の家が昭和58年(西暦1983年、皇暦2643年)に自民党と訣別しさらに昭和60年(西暦1985年、皇暦2645年)に日本を守る国民会議や日本を守る会とも訣別したにもかかわらず、自民党や日本を守る国民会議、日本を守る会と連携し続けたのが、日本青年協議会だ。
 そして、日本会議は日本を守る国民会議と日本を守る会の合併によって結成され、日本青年協議会が事務局を担った。つまり、生長の家が10年以上前に訣別した団体同士が合流し、その事務局には生長の家を裏切った連中がついた訳だ。
 そんな年に、よりによって、生長の家の信者の家に産まれたのが、私である。
 だから私は幼い頃から筋金入りの「反自民」で「反日本会議」であった。
 もっとも、何故か小学3,4年生の頃には第一次安倍内閣を支持してしまうという「黒歴史」がある。全体としては民主党支持者であった私が、第一次安倍内閣を支持してしまったのは、当時小学生の私が「改憲派」だったからだ。
 当時は生長の家がまだ公式に反自民宣言を出す前ということもあり、生長の家信者にも自民党支持者が少なくなかった。もっとも、著名人では稲盛和夫先生が民主党を支援するなど、政治的センスのある信徒は当時から反自民であったが、生長の家本部は「政治的中立性」の建前のせいで、動きが遅かったのである。
 まだ小学生の私は、生長の家の教えと安倍首相の言う改憲が一致するというデマを、無意識に信じていたようである。
 しかも、何故か私は勝手に「天皇中心の国にするための改憲」を安倍さんがすると思い込んでいた。バカである。こんな馬鹿さが許されるのは小学生までであって、いい年した大人が信じていると論外だ。
 もっとも、バカな小学生でも少し調べると真相に気付く。
 小学6年生の頃、生長の家の道場に眠っていた谷口雅春先生の書いた憲法についての本の存在に気付いて読みふけると、谷口雅春先生の言われていたことと安倍首相の言うこととが全く違うことがバカでも判った。
 もちろん、小学生の私でも気付くことが判らない大人がいる訳無いので、生長の家信者の仮面を被った「自民信者」はみんな、意図的に御教えを改竄して人を騙していたのである。
 そして、やや時期は前後するが、私が5歳ぐらいの頃に日本青年協議会の関係者らが「谷口雅春先生を学ぶ会」なる団体を作り、そこが生長の家の御教えを改竄して生長の家信者が安倍信者になるように誘導していた。
 中学、高校となって、そのからくりに気付いた私が心底激怒したことは、言うまでも無い。
 いや、今でもその怒りは続いていると言えよう。「騙された」という感情はそう簡単に消えるものではない。
 学ぶ会=日本協議会は、私にとって不俱戴天の敵であり、彼らを倒す為には赤い政治家でも黒い政治家でも組むつもりでいる。


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