平沼赳夫先生を少しは見直した――「意識不明」の状態で意に反して復党させた自民党

 私はかつてこう述べました。

 最後に余談になるが、自民党を「自由民主党」ならぬ「自由自在党」と呼ぶのは平沼赳夫先生の本に書いてあったと記憶する。
 郵政解散で自民党の公認を得られず無所属で出馬し除名された平沼先生。同じころ自民党の支援を受けた堀江貴文氏。
 これだけみると平沼先生は筋の通った政治家に見えるのだが、彼は最後の最後で安倍自民党に復党してしまった。
 「平沼復党」の時ほど、政治家への信頼を裏切られたことは無い。

 しかし、このことは訂正しなければなりません。

 平沼赳夫先生を尊敬している人間として、自民党復党は本当に残念でした。

 というのも、平沼赳夫先生のこれまでの言動と一致しなかったです。

 例えば、平成26年には城内実議員の自民党復党について、平沼赳夫先生はこう言っていました。

自民党の代議士を25年間やったので愛着はあった。だが、節を曲げてまで誓約書を書くのは、私を選んだ有権者に申し訳ないという気持ちだった。(註略)
たちあがれ日本をつくる時に城内くんに『新しい党で活躍してくれ』と言ったら『後援会に相談しないとできない』と。『じゃあ自民党に戻りたいのか』と聞いたら『金輪際、戻りません』と言った。今は自民党に戻っている。自由民主党は自由自在党だ(『日経新聞』2014年6月29日朝刊)

 この様に、平沼赳夫先生は筋を曲げること無く、自民党復党を拒絶していたのです。

 それが、平成27年(西暦2015年、皇暦2675年、仏暦2558年)に自民党に復党。これには驚きました。

 左傾化した自民党に、どうして戻るのか。平沼赳夫先生の保守派としての「筋」はどこに消えてしまったのか、と。

 しかし、実はこの「復党」は平沼赳夫先生の本意ではなかったようです。

 『正論』11月号での平沼赳夫先生の文章を読んだとき、私は驚きました。

 そこにはこう書いてあったのです。

(平成)二十八年の参院選までは自民党に戻らないと決めていた
残念ながら、その後僕は倒れてしまった。集中治療室にいた時、知らない間に復党が認められた。意識が戻り、集中治療室を出た後に復党を知らされた。

 この件について、平沼赳夫先生は多くは語っていません。

 ただ、参院選の前に復党をすると、中山成彬先生ご夫妻をはじめとした、かつて次世代の党で共に戦った保守系野党の同志を敵にすることになってしまう、そのようなことは出来ない、という思いを平沼赳夫先生は最後まで持たれていたのでしょう。

 そう考えると、どうして、わざわざ本人の意識が無い時に復党の手続きをしたのか、一体、自民党は何をやっているのか、との思いは消えません。

 正直、自民党による保守系野党潰しはこの時に始まっていたように思うのです。

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