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「清は中国の王朝である」という大ウソ

 大清帝国は中国では無い。
 清を中国の王朝に数えるのは、元を中国の王朝というようなものである――と言おうとしたら、ある中学校の教材で元寇について「中国の王朝である元が攻めてきたことを何と言いますか?」という問題があって仰天した。
 学校で堂々と「元も清も中国の王朝である」と教えているとは、世も末である。
 これについて、ある人が「皇帝の民族が違うだけで、中国なのは一緒でしょ?」という頓珍漢なことを言っていたので、この点を説明させていただきたい。
 そもそも戦後のわが国では国家と社会とを切り離して議論するものが多いが、本来国家を含む公法人(普遍我)は社会と不即不離の関係にある。ここでいう社会とは共同体のことであり、共同体への帰属には法的・経済的な要素も多いが、当事者の意識や文化面での要素も無視できない。
 清が中国の王朝であるかどうかは、①清の統治者が自身を「中国」として見做していたのか、②清の民衆が「満洲の文化」ではなく「中国の文化」を生きているという意識を持っていたのか、の2点が大きな判断基準となる。
 五胡十六国時代にも中国には様々な異民族が侵入したが、彼らは例えば北魏の例を挙げると、①皇帝自身が異民族出身であるにも関わらず「黄帝の子孫」を名乗って中国史上の帝王の末裔であることを誇り、②公用語を漢語にして皇弟の出身民族である鮮卑族の言語は禁止すらされた、という事実から「中国の王朝である」と言える。
 ところが、元では①皇帝がチンギス・ハーンの子孫であることを誇り②公用語をモンゴル語としていたことから、北魏の例とは明らかに異なり、中国の王朝では無い。
 そして清も、①(中国の王朝たる明ではなく)元から禅譲を受けたことを正統性の根拠とし、②実態としては漢語が使用されるなどしているにも拘らず「公用語は満洲語」「辮髪(満洲民族の髪型)強制」といった政策を最後まで貫いていた、ということから、中国の王朝であるとは言えないのである。
 この事実を押さえておくと、明以前の中国の王朝の直轄領に一度もなったことが無い台湾やチベットが中国の一部ではないことが明白となるし、東トルキスタン(ウイグル)や南モンゴル(内モンゴル)も中国の一部であるとは言えないことがわかるのである。
 ところで蛇足になるが、ここまで中国政府を怒らせるようなことを書いておかないと、ネトウヨや日本会議という人種に「日野は立憲民主党党員だから媚中派だ!」等と言われる狂った状況は、いい加減是正されなければならない。


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HINO
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