コロナ問題で考える「緊急事態条項」――「緊急勅令大権」と「非常大権」の違い

 新型コロナウイルス問題で、遂に政府は「全国の小中高校に一斉休業を要請」という異例の措置を取りました。法的根拠のない「要請」ですが、権力に媚びる習性のある現在の日本人ですから、教員は日教組から保守派までみんなこの「要請」に従うでしょう。

 一方、野党は野党で最大野党の枝野幸男立憲民主党代表が「陽性ということは、感染していなかったということですよね?」と、ドヤ顔で(しかも、「いなかった」の部分をわざわざ強調して)陽性の意味を知らないことを露呈するという大失態を犯しています。「云々」をドヤ顔で「訂正でんでん」と発音した総理大臣と良いコンビです。

 全く、この最大野党党首は原発事故の時に「放射能は直ちに人体や健康に影響はありません!」と叫び、挙句の果てには原発再稼働を推進していた頃から全く変わっていない訳ですが、こんなアホに期待するのが左翼の人達です。

 一方、ネトウヨは敵がアホであることに安堵して安倍首相支持を続けていますが、安倍首相は相手がアホすぎるから(民主党政権の頃よりも評は減らしているのに)政権を維持できているだけ、ということを全く理解していません。「知恵無き味方は知恵ある敵よりも怖ろしい」と言いますが、今の日本は自滅寸前の状況です。

 さて、そんな中で「緊急事態条項」を巡る議論が活発化しています。これまたネトウヨと左翼がアホなことばかり言っているので、彼らよりかは知恵があると自負する私が(これは自慢ではありません、野比のび太よりも賢いということが何の自慢にもならないのと一緒です)、問題を整理しようと思います。

現行法では対処不能な新型コロナウイルス

 始めに客観的事実を言うと、この新型コロナウイルス問題は現行法では対処不可能です。現行法が想定していないからです。

 新型インフルエンザ問題が過去にあり、未知の病気の出現によるパンデミックは既に経験したはずの我が国ですが、政治家は未知の病気に対応した法整備を全くやっていません。困ったものですが、国民のレベル以上の政治家は誕生しないからやむを得ない。

 政府は浙江省と湖北省からの入国を拒否することを決定しています。もっとも、中国全域からの入国拒否はしていませんが、一帯一路を推進し中国をモデルにした「スーパーシティー構想」実現を公約に掲げ、習近平国賓来日に未だに未練のある「親中派」安倍首相らしい決定です。

 既にこれだけ国内に新型コロナウイルスが蔓延している以上、今さら入国拒否は手遅れです。今回の学校の一斉休業も唐突過ぎて無茶苦茶ですが、どうせ立憲民主党政権だともっと無茶苦茶な決定になっていたはずですから、この件で過度に安倍首相を責めるのは酷でしょう。

 ただ、中国からの入国禁止措置を求める署名を「倒閣の恐れ」と判断して署名受け取りを拒否した安倍政権は、自分が超「親中派」であることを露呈したも同然であり、それでも安倍政権を支持することが「愛国」だと思い込んでいるネトウヨは救いようのないアホである、ということは言えます。こんなネトウヨよりかは賢い私ですが、言うまでもなくこれは「肉屋を支持する豚」よりかは賢い、という程度の話であって、全く自慢にはなりません。

 話を戻すと、朝令暮改的な面は責められるにしても、安倍政権による「入国拒否」や「一斉休業」自体は、特には問題のある措置とは言えません。というか、全く問題のない措置をとることなど、緊急事態には不可能です。「直ちに影響はありません!」と叫ぶようなアホよりかは余程マシです。

 しかし、問題はその法的根拠です。例えば、入国拒否について法務省は法的根拠を入管法第5条第14号の「法務大臣において日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当する、としています。

 一体、どんな「行為」を行う恐れがあると言うのか。「ウイルスを持ち込む恐れがある」と言いたいのでしょうが、かなり強引な法解釈であることは否めません。

 ましてや「学校の一斉休業」に至っては法的根拠が皆無なため、政府も強制力のない「要請」という形で行っています。

 要するに、現行法では対処不可能であるということが露呈してしまっているのです。

確かに「緊急事態条項」は必要である

 これまで政治家が必要な法整備を怠ってきた結果、新型コロナウイルス問題が発生したわけですから、泥縄式に今から国会で法改正を議論しても始まりません。

 こういう時に「緊急事態に政府は法律を少々無視してもいいよ」と憲法に明記されたのが「緊急事態条項」です。『日本国憲法』には緊急事態条項の規定はありませんが、『大日本帝国憲法』にはあります。例えば、

第8条【緊急勅令大権】 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ

という規定があり、緊急事態には法律と同じ効力の「緊急勅令」を発布できることが定められていました。

 こういう条項があれば新型コロナみたいな問題が発生しても、現行法では対処不可能なことも解決できるようになります。ですから、こういう意味での緊急事態条項が必要なのは事実です。

『治安維持法』改悪は帝国憲法違反である

 なお、こういうと左翼は「いや、緊急事態条項は濫用された過去がある!」と反論してくるかも、知れません。

 ここでよく出されるのが昭和3年(西暦1928年、皇暦2588年、仏暦2471年)に「緊急勅令」の形式で行われた『治安維持法』改悪です。

 これは、『治安維持法』違反の最高刑を死刑にする上に、今でいうと「共謀罪」にあたる条項も追加した、トンデモナイものです。当時から「これなら誰でも『治安維持法』違反で検挙できる!」という指摘がありましたが、現在の「テロ等準備罪」を巡る議論と全く同じ指摘です。

 この『治安維持法』改悪法案はまず帝国議会に提出されましたが、衆議院で野党議員はおろか、与党議員からも激しい反対に遭い撤回に追い込まれます。与党からも反対が出ている点、戦前の政治家は今の政治家よりも気骨がありました。戦前よりも現在の方が政治体制は優れている、と考えている方は民主主義を盲信し過ぎです。

 さて、帝国議会で廃案になったことを受けて、政府は帝国議会で廃案になったのと全く同じ内容の法案を緊急勅令で制定しようとします。

 しかし、緊急勅令は 天皇陛下の大権であり、このような重大な案件では枢密院の諮詢の結果を受けて 天皇陛下が裁可する、ということになっていました(帝国憲法第56条)。

 そこで『治安維持法』改悪案を枢密院で審議することになったのですが、これには枢密院の内外で批判が殺到します。主な論点は次の通りです。

A 「緊急勅令」はあくまで「緊急事態」に対応するためのもので、それで恒久法を改正できるのか?

B 帝国議会で廃案になったものを「緊急勅令」で制定するのは憲法違反ではないか?

C どうして次の帝国議会の開会まで待てない「緊急の必要性」がこの『治安維持法』改悪案にはあるのか?

 これについて、政府はAについて「恒久法の改正もできるが、その後の帝国議会で緊急勅令が承認されなければ元に戻る」という解釈を述べます。

 どういうことかと言うと、緊急勅令による『治安維持法』改悪自体は一時的なものですが、帝国憲法第8条ではそれが後日の帝国議会で承認されると効力を失わない、と記しているので、帝国議会の「事後承認」を得ると大丈夫、もしも得られないならば白紙に戻るだけ、ということです。

 これについてある枢密顧問官はこう反論しました。

「改正自体は帝国議会の不承認で無効になるかもしれないが、それまでの間にこの緊急勅令で死刑になった者の首は繋がることはない。」

 正論です。幸いにもこの法律で死刑になる人は出ませんでしたが、それは枢密院や世論の反発を恐れてのことでしょう。政府が「緊急勅令」と称して死刑導入をしていた以上、当初は死刑にする気満々だったはずです。

 Bについて政府は「緊急事態は例外」と言い張り、論点はCに移ります。政府は次のように説明しました。

「3・15事件(非合法だった日本共産党が秘かに設立されていたことが発覚・検挙された事件)で、我が国に革命の危機が到来していることが明らかになった!これは緊急事態である!」

 しかし、これについても枢密顧問から次のような反論が来ます。

二千年以上も続いた我が国の國體が、次の帝国議会の開会をも待てないほどの危機にあるという根拠はどこにあるのか?」

 憲法学界もこの『治安維持法』改悪が「憲法違反」であることは一致した意見でした。

 天皇機関説で有名な美濃部達吉は勿論のこと(ちなみに、左翼の皆様の幻想に反して美濃部達吉は民主主義に反対です)、天皇主権説の上杉慎吉も『治安維持法』改悪は憲法違反であると明言しています。

 このように憲法違反であることは明確な『治安維持法』改悪でしたが、枢密院の採決には内閣の国務大臣も参加するため、結局多数決で押し切られます。しかし、その過程では 天皇陛下の前でフィリバスターをする枢密顧問官も出てくるなど、激しい抵抗に遭いました。

 つまり、『治安維持法』改悪というのは『大日本帝国憲法』違反なのでこれは帝国憲法の欠陥ではないことは明白なのです。こんなことも理解できていないのが左翼です。

一度も発動されなかった「非常大権」

 さて、「緊急勅令大権」型の「緊急事態条項」ならば「当然の措置」なのですが、実は緊急事態条項には二種類あります。

 一つは、「緊急勅令大権」みたいに「緊急事態には政府は法律を無視しても良い」と言うものです。緊急事態に信号を守れ、というアホはいませんから、この主張には一定の合理性があります。

 もう一つは「緊急事態には政府は憲法を無視しても良い」と言うものです。これを「委任独裁」といい、『大日本帝国憲法』には「緊急事態」の中でもさらに限定された「非常事態」において、この「委任独裁」を限定的に認めた条項があります。

第31条【非常大権】 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ

 ここでいう「本章」とは国民の人権について定めた帝国憲法第二章のことです。この非常大権は国民の憲法上の人権を制限できる、超強力な条項ですが、あまりにも強力過ぎる規定であるためその発動は「戦時又ハ国家事変ノ場合」に限定されています。

 そして、重要なことはあまりにも強力すぎて、実際にはこの非常大権が発動されたことは一度もないのです。

 大東亜戦争の時も非常大権は発動されませんでした。つまり、この非常大権の規定は不要であった、ということです。

自民改案草案の緊急事態条項は「非常大権」型

 さて、左翼の皆様の「緊急勅令大権」と「非常大権」を混合したアホな議論は置いておくとして、自民党改憲草案を支持するネトウヨも同様の間違いを見ごとに犯しています。

 自民党改憲草案での緊急事態条項は次の通りです。

第99条【緊急事態の宣言の効果】 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

 この内容には「第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重」とありますが、裏返すとこれらの人権が「尊重されないこともある」ということです。つまり、これは『大日本帝国憲法』における「緊急勅令大権」ではなく「非常大権」と実質的に同じ効果を持つ規定なのです。

 しかも、「最大限に尊重されなければならない」人権として例示されている条項の中から、何故か第20条(信教の自由)や第23条(学問の自由)が除外されているあたり、嫌な予感がするのは私だけではないでしょう。

 緊急事態条項が必要だからと言って、この自民党改憲草案を支持する理由には全くならないのです。

緊急事態条項で議論すべき事柄

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