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保守はなぜ負け続けるのか?

 『リベラルはなぜ負け続けるのか?』というような本があるそうで、そう言う主題の論稿は巷に山ほどあるが、その多くは左翼の愚痴であったり逆にネトウヨによる嘲笑であったりする。
 私はそのいずれにも関心が無い。そもそも「リベラルが負けている」という実感が無いからだ。
 むしろ、私が子供の頃から一貫して「負け続けている」のは保守の側であった。
 私たちゆとり世代にネトウヨが多かったのは、そしてゆとり世代のネトウヨに一種の「被害者感情」のようなものがあったのは、ゆとり世代においては「負け続けている保守」という認識が広く共有されていたからだと思う。
 もっとも我々ゆとり世代は、本物の保守派や右翼に学ぼうとせず、まさにネット上だけで「保守もどき」「右翼もどき」の戯言を語る“ネトウヨ”を量産した。左翼がネットを使ってもネトサヨと言われたりしないのは、左側の人間が曲がりなりにも左翼思想を学んだうえで発信したのに対して、自称右派は何も学ばず単に左翼への愚痴を溢すだけに終わり、従来の右翼・保守とは思想的連続性が見られなかったことが大きい。
 今のネトウヨは「権力の狗」「自民信者」に過ぎないが、それは勝ち馬に乗る彼らの人間性も当然あるものの、それ以前に保守・右翼による“人材育成”なり“思想継承”なりが、少なくとも私が子供の頃には機能不全に陥っていたことが大きい。それが左翼との最大の違いであり、その意味でも「保守は負け続けている」のだ。
 もちろん、その間に政界の情勢は大きく変わった。
 私が子供の頃からリベラルな価値観が世間を席巻し、マスコミはもちろん、自民党を含む主要政党は皆、そうした価値観を支持した。自民党について「保守的な価値観を守っている」等というものもいたが、実際には新自由主義政策に都合が良いとなるや、野党以上に積極的に文化的リベラリズムを推進したのが自民党である。
 ところが、第二次安倍政権以降になると「タカ派な政策を推進するのが保守である」というような理解が急速に広まった。
 もちろん、我が国においては左翼勢力が護憲・平和主義運動を推進していたという経緯があり、それに反対するタカ派には保守派が多かった、という経緯はある。
 しかしながら、教条主義的な反戦平和論(非武装中立論等)は社民党ですら声高には言わなくなっていた時期に、敢えてタカ派的な主張で国論を二分しようというのは、結局反戦平和論の支持者が急速に減った民意に媚びたものとしか見えなかった。
 実際、自民党政権はかつて「過激なフェミニストの主張」として一蹴された配偶者控除廃止(という名の主婦への増税)を、検討し始めた。
 これは自民党自身が「配偶者控除は維持する」と公約に明記したが、言うまでもなく保守派の多くは配偶者控除に思想的にも実利的にも反対であったからである。増税など思想的に保守でなくても喜ぶ者はまずおらず、事実共産党ですら配偶者控除には反対の意向を示しており、賛成しているのは専業主婦バッシングをしているフェミニストだけであった。
 つまり、思想的にも実利的にも支持母体であった保守層と明確に対立する政策を実行したのが自民党であり、ここで本来ならば「保守派の野党」が自民党から票を奪うはずであった。二〇〇九年の政権交代も、自民党の新自由主義路線に反対した保守派の国民新党が貢献したことは知られている。
 だが、それはおきなかった。その背景にマスコミによる巧みな情報操作があったであろうことは私が再三指摘してきたが、それにしても、異常な状況である。
 なぜ保守が負け続けているのか?
 一番の可能性は、保守主義が「時代遅れ」になってしまった、と言うことであろう。しかしながら、時代を超えた普遍的な価値の存在が保守の前提である以上、それだけに原因を求めることは出来ない。
 敢えて私が即座に原因を求めることが出来るものがあるとすれば、次の二点であろう。
 第一に、保守が親米を旨としていたことである。
 親米保守というが、今のアメリカでは圧倒的にリベラル派の民主党が強く、共和党でも有力なトランプ派は決して保守主義と言うことは出来ない勢力である。
 従って、我が国の保守派が政治的影響力を握ろうとすれば、必然的に対米自立へと向かわないといけないが、むしろ対米自立を歩むものに「反米」のレッテルを貼ってきたのが従来の保守派であった。
 逆に、アメリカではアカデミックもリベラル派が強いし、アメリカ民主党が今は与党であるから、我が国のリベラル派は堂々と親米を党是とする自民党にも侵食している。自民党議員がアメリカ民主党を模倣して「子供に留守番をさせるのも児童虐待だ!ゴミ捨ての時に子供を1人だけにした家があれば、子供を児童相談所に保護させて親からも学校からも隔離せよ!」という趣旨の条例を制定しようとしたことが、その一端である。
 保守が勝つためには、対米自立を鮮明にしないといけないであるが、ただこれをやり過ぎると第二のフセインになるから、バランス感覚も大切である。
 第二に、保守のもつ反権力性を継承しようというものがいなくなったことであろう。
 保守とは体制維持の思想であると誤解されることがあるが、フランスの王党派を見れば判るように、保守とは基本的に反体制である。
 我が国においても、江戸幕府によって竹内式部が弾圧されたことに心が動かない保守派がいるであろうか?摂関家や武家といった朝敵が権力を握った歴史を学ぶにつれ、憤慨しそうになった経験のない者を、果たして保守といえるであろうか?
 第一の論点とも重なるが、保守を現状維持と解釈すれば対米従属の体制も維持され、アメリカの左傾化に伴い日本も左傾化し、逆にアメリカがトランプ化すれば日本もトランプ化する、と言うことになろう。そこのどこに保守があるというのか。
 最近ようやく、保守派の一部が消費税減税などを唱えているが、遅きに失したと言わざるを得ない。
 そもそも消費税減税だけで保守派の求める日本になるはずもなく、新自由主義者からリベラル派まで一致団結していた「公共事業否定」「身を切る改革」の流れに真正面から反対する政策を打ち出さないと、保守の勝利はない。
 そして、そのためには公共事業というムダと非難されがちな公共事業で実現する未来社会への青写真を描かないといけないが、リニア新幹線等という正に無駄な公共事業を推進しているようでは、野党でさえもそれに真正面からの批判が出来ないようでは、保守が負け続けるのは仕方のないことである。
 保守派は大楠公を称賛するが、楠木正成公の祖先である橘奈良麻呂卿が大仏建立を無駄な公共事業であると指摘していたことを、忘れてはならないであろう。
 保守の立場から描かれる青写真とは、言うまでもなく生命尊重、家庭尊重、自然尊重、そしてその背景となる皇室崇敬であり、いずれも今の東京一極集中では不可能乃至困難であるので、「こうすれば確実に東京一極集中は解決されるし、全ての国民が幸せな家庭に恵まれ、自然と調和した新しい文明の構築も出来るから、そのための公共事業は決してムダではないのである」というようなプランを示すことが出来れば良いのである。
 皇室については、令和の竹内式部が登場しなければならないであろうが。


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