旧正月と紀元節と数え年
昨日は旧正月の元旦でした。建国記念の日(紀元節)と旧正月が近い日にちなのは、決して偶然ではありません。
実は、建国記念の日こそが旧正月を元に算出された日なのです。
というのも、『日本書紀』には皇暦元年の元旦に日本が建国された、と記されているからです。(立春説もあり)
明治維新の時、皇暦元年の元旦を太陽暦に直した結果が、2月11日でした。
さて、私は神武天皇実在説ではありますが、皇暦元年が実際に何年だったかは、『日本書紀』の年代は『古事記』とも差異がある訳ですから、その記録の信憑性については議論があるところだと思っていますし、況してやその年のちょうど元旦に「建国」がおこなれたのか、と言われると
「後世の人がキリの良い日付を選んだ可能性は、当然あるなぁ」
と言わざるを得ません。しかしながら、だからと言ってこの伝承が無意味であるのか、と言うとそうは言えないのです。
というのも、建国記念の日というのは言わば「日本の誕生日」です。そして、昔の人たちは「元旦」を「誕生日」としていたのです。これを「数え年」と言います。
今は「満年齢」と言って、産まれた日より「0歳」となり、その後誕生日の午前0時(前日の24時)に「1歳」「2歳」と加齢していきます。
しかしながら、これにはいくつかの不都合があります。
第一に、これだと胎児の年齢が「マイナス」になってしまいます。『民法』上は胎児にも一定の権利を認めているにもかかわらず、です。
第二に、生まれてきた赤ちゃんも「零歳」だというのは、やや違和感のある言い方です。折角生まれてきたのに「1」ではなく「0」だとは・・・。
これらはあくまでの言葉の表現の問題であり、満年齢が悪いという訳では無いのですが、数え年は生まれてきた時を「1歳」とし、まだお腹の中の状態を「0歳」とした点で、満年齢よりも優れた面があったのです。
そして、お腹の中にいつ宿ったのかは不明ですから、それをお正月の元旦であると「見做す」(擬制)というのも、合理的な規定でした。
今の満年齢でも、何時に生まれてもその日の午前0時の誕生であると「見做す」訳ですから、格別数え年が不正確と言う訳では無いのです。
それではどうして元旦を選んだのか、と言うと、それが旧暦だと立春に比較的近い日である、ということが大きいのでしょう。
確か、アンデルセンだったと思いますが、ヨーロッパの小説で小鳥たちが
「新年が始まったというのに、全然なにも良くなっていないじゃないか!」
「それはだな、人間たちが勝手に作ったカレンダーと言うものでの新年だからだ、本当の新年はコウノトリが来る頃(春)に始まるんだよ。」
と会話する場面があったと記憶します。コウノトリと言えば、赤ちゃんを運んでくれる存在でもありますね。
西洋にも日本にも似たような思想があるのであり、数え年はそれを明確にした点で、日本人らしい(中国や韓国も使っていると思いますが)素晴らしい表現だと思います。
国民の誕生日も国家の誕生日も新春にお祝いする、それは、科学的にはやや不正確なところはあったのかもしれませんが、日本人の大切な感性を反映した、文化であったのです。
満年齢と数え年とが併用されるようになると、赤ちゃんのいのちを守る運動にも良い影響を与えるかもしれませんね。