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考古学から見た「邪馬台国大和説」の問題点と憲法学から見た「憲法改正限界説」の実例
昨日は本屋で、それぞれ考古学と憲法学につての最新研究を書いた本を買いました。
昨年出版された『考古学から見た邪馬台国大和説』と、今年出版されたばかりの『憲法改正が「違憲」となるとき』です。
どちらも結論自体は言い古されたテーマではありますが、その結論に至る論証には注目すべき点が多数あります。
『考古学から見た邪馬台国大和説』は、学生時代から定年退職まで、約40年間も纏向遺跡を発掘調査してきた、元橿原考古学研究所の関川尚功先生の著作です。
ご存知の方も多いでしょうが、この纏向遺跡こそがマスコミ(特に朝日新聞)によって「邪馬台国の最有力候補」とされている遺跡です。
しかし、関川先生はこの遺跡を何十年間も調査した結果、『魏志』「倭人伝」における邪馬台国に繋がるものは見つからなかった、ということを論証されています。
このことは、文献史学の立場からは当然の結論です。
一例を挙げると、『魏志』「倭人伝」では帯方郡(今のソウル近辺)から邪馬壱(台)国までの里程が「1万2000里」とされています。
しかし、その内「7000里」は帯方郡から狗邪韓国(今の釜山近辺)までの距離、つまり朝鮮半島内部の行程と言うことになっています。
そうすると釜山から見て5000里ですから、今のソウルよりも近いところに邪馬壱国があったことになる訳で、どう考えても大和までは行きようがありません。北部九州説が妥当です。
また、関川先生も述べられていますが、「卑弥呼の墓」とされる箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫のお墓であると『日本書紀』にも明記されています。その『日本書紀』の記述が間違いであり、しかも、卑弥呼の墓であると解釈することが正しい、という二重の論証が成立するほどの根拠は存在しません。
ただ、関川先生の著書で注目すべきところは、むしろ私たち文献史学の側の人間にはない視点でこの問題について説明してくださっている部分です。
例えば、最近「邪馬台国の時代は実は古墳時代だった」という言説が広まっていますし、私も半ばそれを信じていました。
しかし、関川先生は「大和地方最古の古墳」である箸墓古墳と、年代がほぼ確定している「崇神天皇陵」の間には大きな年代差が無く、従って箸墓古墳が3世紀の造営とすることはできない、と論証しています。
そして、3世紀のものとされる庄内式土器が箸墓古墳の堀から出土している件についても、より新しい年代の土器も出土していることから、あくまでも「造営途中の年代」を示すものにすぎない、と論証していました。
さらに、鉄器や銅鐸、銅鏡等の出土分布から大和は当時の畿内の中でも特に中心の地域であるということはできない、とも判断されており、漠然と「大和は畿内の中心」と思っていた私にとっては意外でした。
こうした関川先生の考古学の立場から見た論証は、大和中心主義が実は畿内においても成り立たないということを示すものであり、文献史学の側にも再検討を迫るものです。
また、東海地方と古代大和の関係が深いことも述べられており、このことは文献史学や民俗学の分野にも新たな課題を提起するものであると言えます。
一方、崇神天皇陵と箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫のお墓)の造営年代が近いことは、『日本書紀』の記述(倭迹迹日百襲姫が崇神天皇の大叔母)と一致するものであり、今後『古事記』や『日本書紀』の記述の正確さが考古学的に証明されることも考えられます。
他にも関川先生の著書には注目すべき論点が多数ありました。
『憲法改正が「違憲」となるとき』は、イスラエルの比較憲法学の権威であるヤニヴ・ロズナイ氏の著書です。
こ の本の結論自体は、憲法学界における定説である「憲法改正限界説」を肯定するものであって、特に新規な内容ではありません。
しかしながら、憲法改正の手続きによって憲法の限界が超えた場合何が起きるか、と言うことを始め、憲法改正限界説の「実例」を世界各国の憲法改正の例から集めていることは、注目に値します。
「憲法改正限界説」と言うのは、憲法改正と言うのは自ずから限界が存在する、と言うものです。
世界各国の憲法では明文で憲法改正の限界を定めているのも存在しますが、問題は不文律としての憲法改正の限界が存在するのか、と言うことでした。
ロズナイ氏によると、このことが問題になったのは『アメリカ合衆国憲法』における憲法改正禁止規定だそうです。
『アメリカ合衆国憲法』は州の権限を侵害するような憲法改正について、明文で禁止しています。しかし、これについて
「憲法改正禁止規定を改正する憲法改正が行われたらどうする!」
と言うような議論が行われた、と言います。
如何にも訴訟大国であるアメリカらしい議論ですが、そもそも『アメリカ合衆国憲法』の改正には各州の同意が必要なので、現実にそのような改正が行われたことはありません。
ところが、世界に目を向けるとなんと、憲法改正禁止規定が存在しないにもかかわらず「憲法改正は、無効!」という判決の下った国があるのです。
その代表がインドです。この時インドの最高裁が用いた「基本構造理論」の法理は世界各国で採用されている、と言います。
ロズナイ氏は『大日本帝国憲法』から『日本国憲法』への「改正」についても、実際には「憲法改正権が明治憲法を破壊し」たものであり、「憲法革命」であると述べています。
これは日本の憲法学界の定説である「八月革命説」と同じ内容でありますが、海外の憲法学の権威も同じ見解を示している、ということは重要でしょう。
未だに日本の歴史や公民の教科書には「『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の改正によって成立した」等と言う、憲法学者の殆どが信じていないデマを垂れ流しにしていますが、世界の憲法学者の見解からしても『日本国憲法』は『大日本帝国憲法』の改正によって成立したものとは言えないのです。
また、そのような違法な憲法改正権の行使が「無効」となる海外の例は、『大日本帝国憲法』の復原・改正を行う上でも大いに参考になる法理であると言えます。
考古学も憲法学も、どちらも主観的な要素の入りやすい分野です。
しかし、そのような分野において極力客観的な論証を行おうとしている学者の本は、とても勉強になります。
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