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刺青を彫ることは本当に「個人の自由」なのか?

 世の中には「銭湯の入浴で刺青を入れた人を拒否するのは差別だ!」とか「刺青を入れた保育士を解雇するのは差別だ!」等と言う「ナンデモ差別」論を主張している人がいます。

 彼らによると「自分の身体に刺青を彫ることは個人の自由」なのだそうですが、私はそもそもその大前提に疑問を持っています。

 「自分の身体をどうしようが自分の勝手だ!」という主張は、そもそも本当に正しいのでしょうか?

 この自己決定権云々の主張は「堕胎罪は自己決定権の侵害だ!」という中絶完全自由化論者が生命尊重派を攻撃するために作り出した概念であると思いますが、そういう経緯はここでは置いておきましょう。

 私はまず、「自己決定権」を名目に自傷行為は許されないという立場ですので、そこを押さえておこうと考えます。

 話は変わるようですが、皆さまは人間に「自殺の自由」があると思いますか?

 私は当然「無い」と考えます。

 以前、私がツイッターで「自殺しようとしている人がいたら力尽くで止めるべき」とツイートすると、何故か炎上しました。炎上している方々の多くは反生命尊重(アンチライフ、プロチョイス)のアカウントだったような気がしますが、先述の理由でここではそれは置いておきます。

 自殺を力尽くで止めることにさえ反対するとは、余程生命尊重の思想が嫌いなのでしょうが、そう言う方のために自殺の自由が無い理由を説明させていただきます。

 大前提として「罪の無い人間を殺してはいけない」と言うことに異論のある人はいないでしょう。いや、この大前提に異議申し立てをする人がもしもいれば哲学的な議論を楽しめそうですが、本題から逸れるので今回はそういう一風変わった哲学をお持ちの方の存在はスルーします。

 では、もしも貴方が罪を犯していないのであれば、罪の無い自分を殺してはいけません。それは当然のことです。

 すると、今度は「私は罪を犯したんだ!だから責任を取って自殺するんだ!」と言う方が出てくるかもしれません。

 そういう人間に対しては、冷たいようですが「生きて罪を償ってください」と言うほかありません。

 と、ここまで言うと、今度はこういう人が出てきそうです。

「憲法はどうした!憲法には人間は自由だと書いてあるぞ!」

 なるほど、では『日本国憲法』にはどう書かれているでしょうか?

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 はい、ここでは「自由」だけではなく「生命」や「幸福追求」も併記されていますね。

 これらは並立の関係です。ここにおける「自由」が「生命軽視の自由」や「不幸追及の自由」を含むとすれば「生命」「幸福追求」の二語が空文化されてしまいますので、そんな解釈はしようがありません。

 また、ここで定められているのは「立法その他の国政の上で、最大の尊重」ですから、「生命」「幸福追求」は具体的には立法上の原則です。

 従って、国会が「自殺は生命軽視である」とか「自殺は不幸である」とか判断すると、自殺を法律を禁止することが出来ます。

 まぁ、自殺した人は既にあの世に行っているので閻魔大王以外に誰が裁けるかは知りませんが、その代わりに「自殺幇助罪」として自殺を助けることを犯罪扱いしています。本当に自殺が自由なのであれば「自殺幇助罪」など存在するはずがありません。

 では、自殺の次は「薬物濫用」についてみてみましょう。

 世の中には「麻薬を使う方が幸福だ!薬物禁止は自己決定権の侵害だ!」ということで、「自由の国」アメリカのオレゴン州のように麻薬の非犯罪化をした人もいました。

 が、私は客観的にみて薬物依存は不幸な状態ですから、薬物濫用の自由は無いと考えます。

 薬物濫用はそれ自体で被害を受ける人はいません。こういう犯罪を「被害者無き犯罪」と言います。

 無論、私がいくら「薬物依存は客観的に不幸だ!」と言っても、「いやいや、それこそがお前の主観だ!」と言う人がいるでしょう。そこで議会において議論をした末に、薬物を規制する法律を制定しよう、と言うことになる訳です。

 以上を前提に、愈々刺青の話をしましょう。

 そもそも、刺青をしている人はリベラル派よりも寧ろ任侠右翼に多い筈なのに、リベラル派が刺青自由化を主張しているのには奇異を感じますが、リベラル派の背後にも任侠右翼の背後にも自民党がいると考えれば別に不思議でも何でもない・・・なんていう話は、ここではしないのでご安心ください。

 刺青の問題は特殊な手術をしない限り消すことが出来ないと言うことです。つまり、可塑性の著しく低い自傷行為なのです。

 可塑性が著しく低いと言う意味では、薬物濫用と一緒です。一度したら取り返しのつかない事なのです。

 それは果たして「個人の自由」として許されるのでしょうか?

 私はそうは思いません。私の知人にもリストカットの常習者がいるからこそ思うのですが、自傷行為は自分の意思では止められません。それは「自由」や「幸福追求」ではなく、むしろ「不自由」で「不幸追及」を余儀なくされている状態です。

 刺青も本質的に自傷行為である以上、本来ならばその禁止が議会で議論されても良い筈であると考えます

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日野智貴
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。 拙い記事ではありますが、宜しければサポートをよろしくお願いします。 いただいたサポートは「日本SRGM連盟」「日本アニマルライツ連盟」の運営や「生命尊重の社会実現」のための活動費とさせていただきます。