「菅義偉内閣総理大臣」か「内閣総理大臣菅義偉」か
最近知った発見がある。それは公職者の呼び方だ。
私は「菅義偉総理」という言葉をよく使っている。だが、実際には「氏名+官名」は俗称で、本当は「官名+氏名」が正式なようである。
つまり「菅義偉内閣総理大臣」ではなく「内閣総理大臣菅義偉」が正式な呼び方である、と言うことだ。
言われてみると、国会でもそう呼んでいる。議事録を見るとこうある。
内閣総理大臣から所信について発言を求められております。これを許します。内閣総理大臣菅義偉君。
(「第203回国会 本会議 第1号(令和2年10月26日(月曜日))」議事録より)
同議事録を確認すると、国会内の役職もすべて「役職名+氏名」で呼んでいる。(国会には「官吏」はいない、と言う建前。国会職員は官僚ではない、ことになっている。)
例えば、こういう感じだ。
内閣委員長松本文明君、総務委員長大口善徳君、法務委員長松島みどり君、外務委員長松本剛明君、財務金融委員長田中良生君、文部科学委員長橘慶一郎君、厚生労働委員長盛山正仁君、農林水産委員長吉野正芳君、国土交通委員長土井亨君、安全保障委員長西銘恒三郎君、国家基本政策委員長森英介君、予算委員長棚橋泰文君、決算行政監視委員長生方幸夫君及び懲罰委員長平野博文君から、それぞれ常任委員長を辞任いたしたいとの申出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
歴史上の文書に成れている人間からすると、違和感を抱くこともある。
古文書には「名字(家名、称号)+官名」の表記が珍しくないからだ。
例えば、豊臣秀吉が「羽柴筑前守」と呼ばれていたことは著名だし、私の祖先は「日野藤左衛門尉」である。
ちなみに、昔の人は実名ではなく、官名の方を通称として用いていた。だから、子孫でも実名を断定できないことがある。
「日野藤左衛門尉」の実名は「義祐」だったはずだが、私が生まれるよりも前に家系図を保管していた菩提寺が洪水に遭ったため、今では確認のしようがない。
実名と言うのは、今も昔も「戸籍名」のことであるが、平安時代初頭に腐敗貴族たちがサボタージュをして戸籍を作らなくなってしまった。戸籍が無いのであるから、明治維新まで人々は実名を意識する場面などほとんどなかったのである。
教科書に出てくる「近松門左衛門」も実名ではない。「門左衛門」は「官名風の通称」だ。実名は「信盛」である。
ちなみに近松門左衛門の名字は「杉森」で「近松」は芸名、そして本姓は私を同じ「藤原朝臣」だ。
本姓の話をしたが、元々「官名+姓名」の用例は存在した。「官名+氏名」の用例もそこから出たものかもしれない。
「官名+氏名」の用例が出てきたのは明治維新の後である。(そもそも「氏=名字」になったのが明治維新の後。)
昔ながらの「名字+官名」の呼び方の方が私としてはスッキリするのだが、それだと「スガ総理」と「カン総理」とが、口で発音する分には構わないが、文字にすると全く区別が付かなくなってしまう。
そう考えると、今の「官名+氏名」の方法も良く考えられたものなのかもしれない。
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