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泉健太先生がメーデーで「国民の生活が第一」の政治を訴える
立憲民主党代表泉健太先生が「第94回メーデー式典にあたって」の声明で「『国民の生活が第一』の政治を訴えてまいります」と述べられた。
「国民の生活が第一」のスローガンは平成21年(2009年、2669年)の総選挙で民主党が掲げたもので、当時民主党の代表代行であった小沢一郎先生が主導した。
小沢一郎先生は近年の立憲民主党が「ジェンダー平等」等をスローガンに掲げていることを疑問視、「国民の生活が第一」のようなわかり易いスローガンを掲げることを求めていた。
泉健太先生も小沢一郎先生の意向を尊重し、昨年の参院選では「生活安全保障」をスローガンとしていた。
しかし、少なくとも立憲民主党の公式サイトで検索できる範囲内では、これまで立憲民主党で「国民の生活が第一」というフレーズを用いていたのは、小沢一郎先生や青木愛先生、森裕子先生、横沢高徳先生、木戸口英司先生、玉城デニー先生と言った、自由党出身の政治家に限られていた。
背景には、民主党政権時代に事実上民主党が分裂して「国民の生活が第一」が結党され、それが自由党の事実上の前身になったという事情がある。以降、民主党系の政治家は「国民の生活が第一」のスローガンを忌避していた。
今回、泉健太先生が「国民の生活が第一」のフレーズを用いたことは、民主党分裂前の原点に戻ることを意味し、極めて意義のあることである。
しかしながら、国民の生活が第一のフレーズの意義はそれだけに留まらない。小沢一郎先生は著書『小沢主義』で「国民の生活が第一」の政治の原点を仁徳天皇の「民のかまど」の話であるとし、次のように述べられている。
政治とは、いったい何か。政治家とはいったい何者か。
その答えはさまざまにあるだろう。
法律を作る、国家予算を作る、外交を通じて国益を達成する、さらには国際平和を実現する・・・政治家のやるべき仕事は無数にあるわけだが、僕の考えを言わせてもらえれば、政治の使命、役割は次の仁徳天皇の話に尽きていると思う。
『日本書紀』に仁徳天皇のエピソードとして、次のような話が紹介されているのはご存じの人も多いだろう。
ある日、仁徳天皇が皇居の高殿に登って四方を眺めると、人々の家からは少しも煙が立ち上っていないことに気付いた。天皇は「これはきっと、かまどで煮炊きできないほど国民が生活に困っているからに違いない」と考えて、それから三年の間、租税を免除することにした。
税を免除したために朝廷の収入はなくなり、そのために皇居の大殿はぼろぼろになり、あちこちから雨漏りがするほどになった。
しかし、その甲斐あって、三年の後には国中の家から煮炊きの煙が上るようになった。(略)
こうして高殿の上から、あちこちの家のかまどから煙が立っているようすを確認した天皇は皇后に語った。
「私は豊かになった。もう心配はないよ」
(略)
世の中には、ともすれば小難しい、抽象的な議論をするのが上等だと考える風潮がある。
しかし、学問ならともかく、政治はそうであったら困る。
政治はあくまでも、人々の生活に密接につながっているものであって、だから具体的でなければいけない。
いくら立派なことを言い、それを実行したとしても、肝心の国民が不幸な生活を送っているのでは、それでは正しい政治とはとうてい言えない。僕はそう思っている。
このエピソードは昔の話と思われるかもしれないが、実は歴代天皇の大御心でもある。
奈良時代、朝廷が実行した班田収授法の目的は、全ての国民に農地を与えて飢える国民がいなくなることであった。同時代の中国や韓国では女性や奴隷には農地を支給しなかったが、当時の日本は女性や奴隷にも農地を支給し、また奴隷制度も段階的に廃止した。
平安時代になると貴族が荘園を作って各地の農地を支配したため、律令国家の理想は実行されなくなった。しかし、そのような中でも例えば二条天皇は貴族の荘園を没収して律令国家の再建を目指された。
もっとも二条天皇の政治は貴族階級の猛反発を受けて挫折したが、それでも、歴代天皇が常に国民の生活を祈られていたことは、紛れもない事実だ。
今上陛下も今年の誕生日の記者会見で「今後とも、生活に困窮している人々やその子どもたちなど、社会的に弱い立場にある人々に、心を寄せ続けていきたいと思います」と述べられている。陛下の臣下たる政治家には、この大御心の実現が求められるのである。
泉健太先生は今年の正月に恒例の伊勢神宮集団参拝をした際、まず「皇室の弥栄」を祈りその次に「国家の安泰」を祈った、という。
これについて一部の左翼勢力が泉健太先生を誹謗中傷し、「何故国家よりも皇室が先なのか!」「これだと自民党の方がマシだ!」等と言う意味不明な批判をした。
しかし、国民の生活を祈られている陛下の想いを具現化するために国家があるのであって、決してその逆ではない。国家には自然発生的に出来た側面もあるが、少なくとも統治機構(state)としての国家は、国民の生活を祈られている陛下の想いを具現化するのが目的でないといけないのだ。
仮に「国家の安泰」を先に祈ると、それは今の中国政府のような状態になっても「国家の安泰」を名目に国民を犠牲にした政治を行うことを認めることになりかねない。「皇室の弥栄」を祈ることと「国民の生活が第一」の政治を行うことはセットなのである。
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