ゼレンスキーさん「クリミア奪還」は無茶ですよ?
ゼレンスキーさんが「クリミア奪還」を言ったニュース、あまり注目を集めていませんが、これは一線を越えています。
クリミア問題は憲法問題も絡んでくる複雑な話です。無論、日本ではなくウクライナの憲法の話ですが、日本も参考になります。日本がクリミア奪還を認めると、後々大変なことになります。
最初に言っておきますが、私は立憲ユースの活動でウクライナへの街頭募金活動をしたこともある人間ですし、今後もウクライナの人たちを助ける活動には携わっていくつもりです。
また、ロシアは好きな国ではありますが、南樺太と全千島諸島の返還は強く訴えていく立場です。
つまり、私はロシアもウクライナもどちらも敵視するつもりは無いのですが、かと言ってその国の大統領まで肯定するかと言うと、それは別の話です。
プーチンさんが「ウクライナ政府の中立化」を言った時は、「おいおいプーチンさん、それはアカンぞ」と思いました。ドネツクとルガンクスの独立を国家承認するのはプーチンさんの自由ですけど、他国の政府のことに口を出すのは内政干渉です。「中立化要求」をした瞬間、露宇戦争はロシアによる侵略と評価せざるを得なくなりました。
だからゼレンスキーさんが「武力で大統領の座を奪われてたまるか!」と抵抗している、それは良いんです。
しかし、私は最初からゼレンスキーさんを全面肯定はしませんでした。
ウクライナ政府の公式Twitterが昭和天皇をファシスト扱いした件なんか、ゼレンスキーさん自身は無関係のようですが、私は断じて許せません。以降、私はドネツクとルガンクスの国家承認をすべきとの立場に転向しました。
ただ、ゼレンスキーさんを肯定できない最大の理由は、国内の成人男性全員を事実上徴兵したことです。
未だに徴兵制を肯定しているのは、東アジアでは日本改め東夷倭族共和国のネトウヨという人種と大韓民国政府、それに「平壌政府」(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)ぐらいです。あの中国共産党ですら徴兵制はしていません。中共未満の、東夷の野蛮人が支持しているのが徴兵制です。
ゼレンスキーさん自身は「女子供は海外に逃がしてやったぜ!俺は紳士だろ?」とか思っているかもしれませんが、これは要するに「言葉もろくに通じない国に母子家庭状態にして送り出した」ということです。私はそれを聞いて『竹林はるか遠く』という小説を思い出しました。
とは言え、私は暴力による政権交代には反対ですから、ゼレンスキーさんが抵抗するのは認めます。が、そもそもウクライナの歴史は暴力による政権交代の歴史であり、クリミア問題もそれが大きくかかわっています。
そもそもクリミア共和国は元々ウクライナの自治共和国でしたが、2014年に独立してロシアに編入された経緯があります。その住民投票の正統性を云々する人がいますが、この問題はウクライナで当時起きていた政変の評価から切り離して考えることはできません。
ウクライナでは2004年のオレンジ革命以来、「革命憲法派」と「憲法復原派」による対立が続いていました。
ウクライナの憲法は1996年に制定されましたが、2004年に大統領選挙に当選したヤヌコーヴィチ首相について憲法裁判所が当選取り消しと選挙やり直しを発表、その結果僅差で当選したユーシチェンコ大統領により憲法改正が行われます。「オレンジ革命」です。
ところがそのユーシチェンコ大統領の下で政変が起き、彼は紆余曲折の末に結局ヤヌコーヴィチ氏を首相に任命します。さらに2010年にヤヌコーヴィチ氏は大統領に任命します。
そして、どんでん返しが起きました。憲法裁判所がなんと、2004年の革命憲法を「無効」だと判断したのです。これを受けてヤヌコーヴィチ大統領は正統な1996年憲法を復原しました。
実はこれ、比較的よくある話です。
フランスでもフランス革命による革命憲法が「無効」だと言う立場から王政復古が行われました。「王政復古」と言いますが、フランス革命で一時的に王制が廃止されたと言う事実を、王党派は認めていません。「フランスの元首は一貫して王様であったが、それに従わない反乱軍に支配されていただけだ」というのが王党派の見解で、その見解のまま王政復古を行ったのです。
フランス王政復古はその後破綻しましたが、今でもフランスの王党派は同様の認識です。王党派はフランス革命の正統性を認めていません。
日本でも明治維新がそうです。よく「大政奉還」と「江戸幕府滅亡」を同一視している方がいますが、大政奉還と征夷大将軍解任は別の時に行われています。大政奉還とは「江戸幕府には統治権は無いよ」という確認をした儀式です。
イギリスの王政復古もピューリタン革命の正統性を認めない人が行ったものです。このように「革命」と言うのは、その正統性を認めない人にとっては無意味なものに過ぎません。
言い換えれば、今の日本の憲法学界は「八月革命説」で『日本国憲法』の正統性を説明していますが、そのような解釈を採る限り「八月革命なんぞ認めんぞ!」と言う人たちにとっては『日本国憲法』は無効と言うことになります。憲法学者たちは「まさかそんな右翼が政権を握る訳無かろう」と思っているのかもしれませんが、江戸時代も「まさか江戸幕府を朝廷が倒すわけなかろう」とみんな思っていたことでしょう。
さて、話を戻すとヤヌコーヴィチ大統領は憲法裁判所の判決も後押ししてオレンジ革命の正統性を認めなかったわけです。
これに怒ったのが革命憲法支持派です。かつてオレンジ革命を推進した野党勢力は様々な反政権勢力と団結して「打倒ヤヌコーヴィチ」のために結束します。
その際、野党勢力はなんとネオナチ政党である全ウクライナ連合「自由」(以下、スヴォボーダ)とも手を組みました。
今、ネット上では逆に「ウクライナにネオナチがいると言うのはロシアのプロパガンダだ!」というデマが広まっていますので、スヴォボーダが公式サイトにおいて2012年に掲げていた政策を確認します。
無論、スヴォボーダは福祉の充実と言った政策も掲げてはいますが、福祉の充実と排外主義や反共主義の組み合わせは、典型的なファシズムの特徴です。
そうしたネオナチ団体とも組んで、2014年に革命憲法支持派は武力によってヤヌコーヴィチ大統領を追放し、暴力で新政権樹立と革命憲法復活を宣言しました。
逆に憲法復原派が多数を占めていたクリミア自治共和国は、本国の政変に反発しヤヌコーヴィチ大統領の許可を得た上で独立を宣言、ロシア連邦に編入されたのです。
無論、今のウクライナ政府はゼレンスキー大統領がユダヤ人であることも判るように、ネオナチ勢力を少なくとも政権中枢からは排除しています。(アゾフ大隊みたいなのもまだ存在していますが。)
しかし、そのことを以て過去にネオナチが政権に入り込んでいたことを消すことは出来ませんし、ヤヌコーヴィチ大統領を武力で追放したことがクリミア併合の原因であることは紛れもない事実です。
クリミア併合の後、ロシアはこれまでウクライナ政府が認めてこなかった先住民の言語であるクリミア・タタール語を公用語として認めるなど、ウクライナ時代以上にクリミア共和国の自治権や先住民の権利獲得は進んでいます。
ゼレンスキーさん自身はこれまでのウクライナ政府とは異なりクリミア・タタール人の権利も守る意向のようですが、これまでの経緯からクリミアがロシアに編入されたのは相応の根拠があると言うべきで、「我々が正しいと思う方法で奪還する!」という手段を択ばない方策は支持できませんし、また、それはそもそもウクライナの現在の軍事力では困難であると言えるでしょう。
プーチンさんはウクライナへの内政干渉を止める、ゼレンスキーさんは領土問題の平和的解決を模索する、それ以外に露宇戦争の解決方法は無いと私は信じます。