中国のエスニックグループの分類


 中国は孫文の時代から「中華民族主義」を唱え、現在の習近平国家主席も「中華民族の偉大なる復興」を唱えている。しかし、中国には歴史・言語・宗教・文化・思想等を共有しない様々な集団が存在しているのであり、一体「中華民族」という単一民族が存在するのか、という問題が生じてくる。
 しかしながら、中国語や日本語では「民族」について「nation」を指す場合と「ethnic groups」を指す場合とがあり、Wikipedia英語版では令和4年(西暦2022年、皇暦2682年、仏暦257年)1月16日現在「中華民族」を「Zhonghua minzu」と表音表記していることでも判るように、「中華民族」という概念は定義の困難な概念である。
 私個人の見解としては中国を複数のnationによって構成される「多民族国家」(multinational state)として捉える方が適切であると考えるが、政治的な共同体としてのニュアンスをも持つnationの定義自体が論者によって異なる現状では、このことを前提に考察を行うのは適切ではない。中国の民族政策を議論する際には、まさに「nationとは何か」が議題に上っているのであるから、ここではnationではなくその下位概念であるethnic groupsを以て仮に「民族」とし、中国における民族の分類について論じたい。

民族の仮の定義

 民族を定義する際、文化や宗教による区分が用いられることも少なくないが、文化の区分については主観的なものが少なくなく、また、宗教による区分についても多くの国では信教の自由が保障されているし、そもそも中国のように政治的理由で無宗教が推奨されている国々では宗教による区分はあまり実態を伴う者とは言い難い。
 従って、比較的客観的に区分できる言語と祭祀とを基準にするのが適切であろう。
 日本国民を言語や祭祀を基に大きく区分すると、日本民族、琉球民族、アイヌ民族とに大きく分けることが出来る。日本民族は日本語という言語を持ち、神社神道に基づく祭祀を共有している。神社神道に反対する日本民族もいるが、それは個人の宗教や思想に基づく動機によるものであり、日本民族という集団の中で神社神道が標準化されているからこそ、彼らは神社神道の「押し付け」に反対しているのである。
 一方、琉球民族やアイヌ民族は最初から神社神道を共有していたわけではなく、戦前の国家神道体制においても神社神道は民族の「外部」から移入されたものである。欧米の影響でいくらフランス料理やイタリア料理が流行してもフランス料理やイタリア料理を日本民族の文化とは言えないのと同じで、アイヌ民族や琉球民族の民族祭祀に神社神道は含まれない。
 誤解を防ぐために言うと、私はアイヌ民族や琉球民族に対する神社神道の普及に反対しているわけではなく、中国人が漢字という素晴らしいものを発明してくれたお蔭でそれを日本民族も琉球民族も朝鮮民族も使うようになったことでも判るように、神社と言う素晴らしいシステムをアイヌ民族や琉球民族が使ってくれたならばそれは有難いことである。ただ、漢字という便利なものを使ったからと言って日本民族や琉球民族が中国語を使う訳ではないように、神社が沖縄県や北海道に建立されたからと言って(現に建立されているが)アイヌ民族や琉球民族の伝統的な祭祀を否定して本土と全く同じ祭祀をさせることは不適切であろうし、またそもそもそれは不可能に近い。
 現に沖縄には国家神道体制の以前から琉球八社と呼ばれる神社があったが、琉球民族の伝統的な祭祀に置換するものとはならなかったし、またその必要もなかったと言えよう。その逆の例が朝鮮神宮で、朝鮮民族を祭神としないことについて神社神道関係者からも批判の声があったことが知られているし、実際朝鮮民族の伝統的な祭祀を無視した結果、却って朝鮮神宮は破壊されたのである。
 話を戻すと、民族の定義については言語と祭祀によるものが一応有用であると考えるが、それも当事者の主観や政治的事情で左右される面があるのは否めない。祭祀についても個人差や政治の影響は避けられないが、それは言語も同様である。
 アイヌ語が日本語と異なる言語であることに異論は無いと思われるが、ではアイヌ語が単一の言語であったかと言うと議論がある。琉球語についても複数の言語の集合体であると言う説もあれば、逆に日本語の方言に過ぎないと言う説すらある。
 一億人を少し超えるだけでの日本においてすら民族の区分は絶対的なものでは無いのであるから、日本の十倍以上の国民のいる中国の民族区分については様々な意見があって当然である。本稿では言語と祭祀とを指標に区分しているが、同じ指標を用いても異なる結論が出る可能性を否定するものでは無い。

中国の定義

 中国の民族について論じる際に、さらにややこしいのが中国の定義である。
 「中国」という言葉については歴史上様々な定義が用いられていたし、今でも使われている。
 「最狭義の定義」では「中国」とは即ち「中原」のことである。「中原」の定義も曖昧であるが、黄河文明の領域を指す場合もあれば、中国の天子(皇帝)の居場所とその周辺を指す場合もある。しかし、これは今の時代には有用であるとはいえないであろう。
 「最広義の定義」では「中国」とは即ち漢字を含む「中華文化」を受容したすべての地域である。この定義ではモンゴルも中国の一部となり、現に習近平はチンギスハンを中華民族の英雄であると言っている。さらにこの定義では日本すらも中国の一部となり、実際「中華文化」という意味では日本の方がより純粋な「中国」である、という主張も古来存在していた。もっとも、この定義も今では一般的ではないであろう。
 現在、一般的に「中国」と指す際に用いられる定義は概ね二つあると言える。
 一つ目は「広義の定義」であり、これは中華人民共和国が領有権を主張する全ての地域である。チベットや東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)、満洲、台湾等が含まれる。
 二つ目は「狭義の定義」であり、これは「中国本土」や「支那」とも呼ばれる。概ね上記の領域からチベットや東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)、満洲、台湾を除いた領域である。
 「尖閣諸島をめぐる日本と中国の対立」等と言う際には「広義の定義」が用いられている。中国は尖閣諸島が台湾の一部であると言う主張であり、従って「台湾も中国に含まれる」ということを大前提として尖閣諸島の領有権を主張しているのである。
 「ウイグルにおける中国の同化政策」等と言う際には「狭義の定義」が用いられている。習近平は東トルキスタンにおける同化政策を「宗教の中国化」という言葉で説明しているが、「広義の定義」での中国には元からウイグル人がいたのであるから今さら「中国化」の必要などない訳で、ここで言う「中国」は「狭義の定義」なのである。
 私が「中国」と呼ぶ際には、主に「狭義の定義」を用いている。しかしながら、中国の民族政策を論ずる上では「広義の定義」で「中国」を用いることが必要な場面が出てくる。従って、煩雑さを避けるために「狭義の定義」については「中国」とは異なる用語を使用したい。
 これについては、従来から「支那」との呼称が用いられてきた。一部には左派を中心に「支那」を差別用語とする論者もいるが、左派メディアも「東シナ海」や「南シナ海」の表記を用いており、やはり「狭義の定義」における「中国」に「支那」を用いるのは人口に膾炙した用法のようである。まさか「漢字で書けば差別用語だが、カタカナで書けば差別用語では無い」などと主張する者はいないであろうから、左派メディアも支那を本気で差別用語だとは思っていないのであろう。
 とは言え、今の日本のインターネット上では「支那」を差別的なニュアンスで用いる人が多すぎる。支那蕎麦や支那事変と言った既存の用語については「支那」を用いても問題ないと考えるが、それ以外の場面で不用意に用いると誤解を招く恐れもある。
 もっとも支那自体が差別用語では無いこともまた事実であり、本稿においては「狭義の定義」での中国を指す言葉として支那と同系統の言葉である「震旦」を用いたい。以下、本稿における「中国」は概ね「広義の定義」であり、私の他の文章と意味合いが異なる。

中国政府が認める民族

 中国政府によると、中国には56の民族が存在する。その内漢民族が9割以上を占めるが、少数民族も合計すると1億人を超えており、ここで言う「少数」はあくまでも「漢民族と比べると、少数」ということである。
 漢民族を除く各民族を、その主な居住地を根拠に「震旦」「チベット」「東トルキスタン」「南モンゴル」「満洲」「台湾」に分けて分類すると、次のようになる。(雲南省や四川省、甘粛省については震旦とチベット、東トルキスタンの境界が明確ではないため、異論があると思われるが、ご了承いただきたい。)

震旦(30民族)

・阿昌族
・回族
・仡佬族
・基諾族
・畲族
・京族(越族)
・水族
・傣族
・壮(チワン)族
・景頗族
・土家族
・徳昂族
・東郷族
・侗族
・怒族
・哈尼族
・保安族
・布朗族
・布依族
・普米族
・白族
・毛南族
・苗族
・仫佬族
・瑶族
・裕固族
・拉祜族
・黎族
・傈僳族
・佤族

チベット(8民族)

・彝族
・蔵族(チベット族)
・羌族
・土族
・独龍族
・納西族
・門巴(メンパ)族
・珞巴族

東トルキスタン(8民族)

・維吾爾(ウイグル)族
・烏孜別克(ウズベク)族
・哈薩克(カザフ)族
・柯爾克孜(キルギス)族
・撒拉族
・塔吉克(タジク)族
・塔塔爾(タタール)族
・俄羅斯族(ロシア族)

南モンゴル(1民族)

・蒙古(モンゴル)族

満洲(7民族)

・鄂温克(エヹンキ)族
・鄂倫春(オロチョン)族
・錫伯族
・達斡爾族
・朝鮮族
・赫哲族
・満州族(満洲族)

台湾(1民族)

・高山族(高砂族)

 しかしながら、実際には中国における民族の数はさらに多いと言える。
 少なくとも、回族や高山族は複数の言語を持った集団の総称であり、単一民族ではなく複数民族と捉える方が適切であろう。「台北政府」(自称「中華民国」)は台湾原住民(高山族)を16民族に分類しているが、これもまだ“過小評価”であって、独自の民族として認めるべきであると主張されている集団が14も存在しており、その内の3つは「台北政府」内の一部自治体から台湾原住民を構成する民族として認められている。
 回族の中にも例えば康家語や回輝語という独自の言語を持った集団が存在しており、彼らを独立したエスニックグループとして扱うことは寧ろ自然であろう。

漢民族は単一民族であるのか

 漢民族は言うまでもなく中国語を母語とする民族であるが、歴史的に中国語を用いていても回族に分類されている集団もあることから、「中国語を母語とし、且つ、道教又は儒教による祭祀を行っていた民族」と定義されるべきであろう。
 信仰としては古来より仏教の根付いているのは言うまでもないが、祭祀と言う側面に注目すると、明らかに道教や儒教の影響が強い。ムスリムに無理やり豚肉を食わせるようなことが「宗教の中国化」の名の下に行われていることからも、漢民族自身が自分たちはイスラム教徒等とは異なる習俗・儀礼を持った民族であると認識していることが判る。
 一方、道教についてもその祭祀の具体的な方式には地域性があることが知られており、さらに実は「中国語」という単一の言語の存在も怪しい。
 一般に中国語には次の「七大方言」があるとされている。

・北方語(官話方言)
・呉語(上海語、蘇州語等)
・粤語(広東語等)
・贛語(南昌語等)
・湘語(長沙語等)
・閩語(閩南語<台語>等)
・客家語

 だが、これらは相互に意思疎通が不可能なほどの違いがあり、フランス語とドイツ語ほどの相違があると言う研究もあると言う。日本語と琉球語の違いよりも大きな違いがある、とすら言えるだろう。また、これらの七大方言の内部にもそれぞれ方言があるのだから、それを「方言の方言」と言うよりも「別言語の方言」と言う方が適切であると考える。
 この多数派の言語は北方語であって、単に震旦北部で使われているだけではなく、震旦南西部でも広く使用されており、「北方語」ではなく「中国語」と呼ぶ方が良いであろう。他の言語は中国語では無い、別の言語と見做すべきである。
 中国語以外の呉語、粤語、贛語、湘語、閩語、客家語は震旦南東部に集中して分布しており、その中でも閩語と客家語は台湾や華僑・華人の間でも広く使用されている。但し、閩語はやや差別的なニュアンスがあるため福佬語又は河洛語と呼ぶことが適切であろう。

いわゆる「漢民族」の再分類

 言語を基準にいわゆる「漢民族」を区分しなおすと、中国語はいわゆる「北方語」に限るとする立場からは、それ以外の言語を語る者は漢民族では無い、という事になる。そして、彼らは震旦南東部に集中している。
 贛語を語る者はその居住地域の別名から「江右民族」と、湘語を語る者はその居住地域の別名から「湖湘民族」と、それぞれ名付けることが出来る。彼らの多くは漢民族に政治的にも文化的にも同化しているが、江右民族の一部である穿青人については漢民族とは別個の民族として扱うことを求める動きがある。江右民族も湖湘民族も独自の国を持ったことは無く、それどころか、江右民族からは劉少奇が、湖湘民族からは毛沢東が、それぞれ輩出されており、積極的に中国の一部として扱われることを望んでいた歴史がある。
 呉語の言語圏は五代十国時代に存在した呉越国の領域と重なるため「呉越民族」と名付けたい。呉越民族の居住圏には上海が含まれており、こちらも漢民族と積極的に区別があったとは言い難い面はある。
 これら三民族は、祭祀の面に注目すると漢民族に含めても問題ないかもしれない。江右民族の中では浄明道という道教の一派が力を持っているが、これも他の漢民族にも影響を与えたものである。祭祀と言う面からは独立した民族と言えるだけの独自性があるとは言い難い。
 日本の立場から敢えて言えるのは、呉越国は日本の朝貢国であったと言う事実である。また、日本語に呉語の影響があると言う指摘も存在する。そのような歴史的繋がりを意識する際に呉越民族を漢民族から独立した民族として扱う政治的意義はあるかもしれないが、むしろ今後注目するべきは彼らが独自の言語、独自の歴史を持ちながらも、政治的にも文化的にも漢民族の一部として祭祀を含む行為を営んできたと言う事実であろう。日本列島においては類例がない事例であるが、管見の限りではこれについて論じた論文は見つけることが出来なかった。もしも詳しいことの記された論文をご存知の方がいればご教示いただきたい。
 粤語圏は過去に「南越」や「南漢」という独立国を形成していたが、「南越」と呼ぶとそのさらに南にいる越国(ベトナム)との関係でややこしくなるので、「広府民族」と呼称したい。こちらについては「大粤独利運動」を古くは欧榘甲(康有為の弟子)が辛亥革命期に主張していた。もっとも広府民族からも孫文や康有為と言った、漢民族としてのアイデンティティを持った人物が多数輩出されている。
 河洛語圏は五代十国時代に「閩」という独立国を形成していた。河洛と言うのは黄河文明に祖先をもつという彼ら自身の伝承を受けたものであるが、意味合い的には同じ「ホーロー」の音である「福佬民族」と呼ぶ方が適切であろう。しかしながら、「福佬民族」と言うと福建省だけと思われてしまうが実際には福建省以外の地域の住民もいるため「河洛民族」と呼ぶ方が無難である。彼らは媽祖への祭祀を始めとする独自の文化を築いている。
 客家語圏は粤語圏や河洛語圏と歴史的にも文化的にも関係が深いが、広府民族や河洛民族とは異なり独自の国こそ築かなかったものの、独自の言語と祭祀を維持しているため「客家民族」と呼ぶことに大きな問題は無い。客家民族の祭祀の独自性は大規模な「客家祠堂」にあり、客家自身はそれを漢民族本来の姿であると捉えているようである。
 広府民族や河洛民族、客家民族はまた、その活動範囲が震旦に限定されないことも大きな特徴であろう。無論、少なくない漢民族は華僑や華人として移民はしている。しかしながら、広府民族や河洛民族、客家民族は移民先でも独自のアイデンティティを有している。こうしたことを踏まえて独立した民族と見做すのはそれ程問題ないのではないか。
 河洛民族や客家民族の移民先で著名なのが、台湾である。台湾は冒頭の定義に従えば「広義の定義」で中国と言うことになるが、「台湾は中国ではない!」と意識する人が少なくないことは、ご存知の通りである。そして、台湾の人口の多くは河洛民族と客家民族とで構成されているのである。
 震旦内部ではあるが、香港においても広府民族の独立運動は盛んである。「広東独立」のスローガンや「大粤民国」建国を掲げた運動が存在している。もっとも現在では香港当局からこうした運動は弾圧されている。

震旦における主要民族

 上記の点を踏まえると、震旦の主要民族は次の34民族である。

・阿昌民族
・回民族
・仡佬民族
・基諾民族
・畲民族
・京民族(越民族)
・水民族
・傣民族
・壮(チワン)民族
・景頗民族
・土家民族
・徳昂民族
・東郷民族
・侗民族
・怒民族
・哈尼民族
・保安民族
・布朗民族
・布依民族
・普米民族
・白民族
・毛南民族
・苗民族
・仫佬民族
・瑶民族
・裕固民族
・拉祜民族
・黎民族
・傈僳民族
・佤民族
・漢民族
・河洛民族
・広府民族
・客家民族
・康家民族
・回輝民族

 既に述べたように本稿における分類は絶対的なものでは無く、さらなる増減はあるであろう。また、各民族の置かれた政治的状況はそれぞれ異なる。しかしながら、中国の民族政策を考える上で、上記の様々な民族の存在を意識することは無駄ではないであろうし、また、在日中国人との共生や台湾問題の解決の糸口をも見つかりうるものであると考える。


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