私は「吉野朝」という言葉を使いたくない――「南北朝正閏問題」についての雑感
夢の中で「南朝が正統な王朝、北朝は偽帝である」と言う旨のことを主張している方と出会い、私が思わず反論。
「そもそも、長幼の序と言うものを考えると、持明院統(北朝)の方が大覚寺統(南朝)よりも正統ではないか!三種の神器を根拠に南朝が正統?それならば即位の際に三種の神器が揃っていなかった全ての天皇を偽帝扱いする気か!」
夢の中では自分の潜在意識が出るというのが、私は夢の中でもそんなことを考えているようである。
よく「右翼ならば南朝支持のはず」と言う方がいるが、それには微妙な問題がある。
公家も武士も、後世まで生き残った家の殆どは北朝の末裔である。南朝ではない。だが、南北朝統一の際に北朝側が行ったことの後ろめたさから、南朝の全面否定は出来ずにいた。
そして、明治維新の後になり南朝系の家の人間を何人か華族にした。
様々な政治的な駆け引きもあり、「南朝が正統」ということになり、さらには「南朝」ではなく「吉野朝」と表記せよ、「南北朝時代」と言う言い方は不敬であり「吉野朝時代」と言え、ということになった。
南朝系華族の一つが菊池男爵家である。この家の菊池武夫議員は足利尊氏の再評価や天皇機関説を糾弾したが、いくら自分の先祖の名誉を守るためとはいえ、政治家の立場で学問的な意見を封殺したことは、公私混同も甚だしいことである。
そもそも本来、この問題は「南北朝正閏問題」であった。
「正統」と「偽統」についての問題ではなく、「正統」と「閏統」の問題である。
「閏」とは「閏年」や「閏月」の「閏」だ。「偽」とはニュアンスが異なる。
それなのに「吉野朝時代」みたいな言葉をパフォーマンスで使用される方がいるのには、何とも違和感がある。
まぁ、南朝側の子孫が「吉野朝時代」という用語を使うのは、自然な反応ではあるが。どこの藤原朝臣の思い付きかは知らないが、未だに美術史の世界では平安中後期を「藤原時代」と言っていることを思えば。