日興門流(日蓮正宗・創価学会等)と「神祇不拝」の関係
私が所属しているとある団体の代表は、なんと名前を池田大作名誉会長に付けてもらったという超熱心な創価学会信徒の家庭の方で、また、私の中学・高校時代の同級生には公明党の市議会議員の息子がいて、彼とは色々日蓮教学についても会話をしていたからか、選挙の度に葉書が届きます。
そんな私の信仰は日蓮宗最上稲荷教という、学会側から見たら「謗法だ!」と言われそうな、同じ日蓮系でも全く教義の違う宗教となっています。
日蓮系宗教の教義の違いは、以前ブログで次のように超簡単にまとめたことがあります。
日蓮宗と創価学会や日蓮正宗等の違いの一つが「神祇不拝」の教義があるのか、と言うことなんです。
つまり、日蓮正宗や日蓮本宗、創価学会、顕正会等の人は神社に参拝しません。これは日蓮正宗系だけでなくて、日蓮宗でも日興門流の人は神社に参拝しないのです。
ところが、これについてとある公明党の議員の方が次のようなことをご教示くださいました。
どうも、理由次第では創価学会の友達を神社に遊びに誘っても問題無いようです。
一方、ネット上では創価学会や日蓮正宗の信者が「神社に行くとはケシカラン!」というようなブログを書いていることもあります。
それはどうしてかと言うと、彼らは日蓮聖人の弟子である日興上人と言う人の教えに忠実だからです。
一般的に、日蓮聖人は後継者を明確に決めないまま亡くなられた、とされています。(無論、日興上人だけが正統な後継者であったと日興門流の人は主張している訳ですが。)
ところが、日蓮聖人の弟子たちは日蓮聖人の死後、四分五裂してしまいます。その時に「勝劣」「一致」の論争が起きるのですが、これは往々にして「単なるレッテル貼り」となってしまっているので、ここでは省略します。
(例えば、日興上人は自分のことを「勝劣派」と見做していましたが、一部の僧侶は日興上人こそが「一致派」であるとレッテルを貼るなど、誰が勝劣派で誰が一致派かについても議論が一致していないありさまでした。)
むしろ、日興上人が日蓮聖人の他の弟子と袂を分かったのは、他の弟子たちが神社を肯定したことの方が大きいようです。
日蓮正宗を含む日興門流の諸派では日興上人が身延山(日蓮宗総本山)を離れた理由について色々挙げられていますが、私が史料等を読んだ限りにおいては、日興上人が一番重視したのが「神祇不拝」の問題であったと考えられますし、また、このことは現代に至るまで日興門流とそれ以外の門流との大きな思想の違いになっています。
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