「私は死にたくない」
面白いサイコホラー作品も多いロバート・ワイズ 監督の「私は死にたくない(I Want to Live!)」(1958年・米)。
実在した、強盗殺人の罪で処刑されたバーバラ・グレアム(1923〜55)をモデルとして、彼女が捕まって、裁判を通して、死刑を宣告され、執行に至るまでを描いた。
彼女が書いた手記やレポート、裁判記録、報道記事が原作。バーバラは名優スーザン・ヘイワードが演じてアカデミー主演女優賞を受賞した。
日頃、売春や偽証の罪を重ねていたバーバラが、老寡婦惨殺の罪で逮捕された男2人と一緒にアパートにいたことで共犯とされ捕まる。
バーバラには明確なアリバイがあったが、警察がキライだったこともあって、自暴自棄となって尋問を拒み、警察の囮捜査で検事側の有力となる証拠を掴ませる結果を招いてしまう。
さらにアリバイだった夫もヤク中で記憶がないと証言する。
裁判で第一審の判決はガスによる死刑。
彼女は「子供のためにも生きたい」と望み、無罪を確信する弁護士や新聞記者、心理学者らは努力するものの、再審を望む訴えは却下される。
バーバラは死刑が執行される刑務所に移送され、ついに執行の日を迎える…。
真の犯人である男2人と警察との司法取引と警察の心証を悪くしたことで、バーバラは処刑されるに至ったのだが、全くの冤罪であるけど、周りの証言など全てがバーバラに不利な結果となってしまう。
真実は違っても、司法という大きな組織が望む流れに呑み込まれて、個人の力が全く及ばなくなるという理不尽な例は、日本でもよくあることだと思うけど、冤罪で命まで奪われるのだから、本人はたまったものじゃないよね。いくら声をあげても届かないから恐ろしい。
バーバラという美人の女凶悪殺人者を処刑するというマスコミや大衆が満足する悲劇(?)のストーリーを当時のアメリカの司法が作りたかったのかとまで勘ぐってしまうね。
衝撃なのは、死刑前夜から執行の当日、ガス・チェンバーに入れられてガスが流されて死ぬまでが忠実に描かれていることだ。
新聞記者など見物人が見守る中(当時はそうだったのか?)、イヤリングを付けてメイクを施し、スーツを着てヒールを履いたバーバラ(これも許されたのか?)が目隠しをして、「私はやってないわ」と最期の言葉を残してチェンバーの中に入っていく。
前夜までは眼を大きく見開いて涙に濡れて死刑に怯えてたが、凛と背筋を伸ばして、ヒールをコツコツと鳴らしながら、まるでモデルが舞台を颯爽と歩くみたいに死刑に臨んで行く。
2度も執行が延期されたことで弁護士らは、男2人が真実を話し、バーバラを救うだろうと最後まで待機してるが、結局、バーバラは男2人に先立って死んでいったのだ。
死刑については、①近代の刑は報復じゃなく教育刑、②データ的に犯罪抑止力はない、③被害者側が置き去りにされている…の三つの理由で、俺は哲学的に「死刑反対論者」なんだが(誤判や人権問題は別にして)、存続させるにしても、最も、被害者側の視点が欠けていると思う。
被害者側には事前に通知して、希望すれば立ち合わせるか、執行のボタンを押すことも認めるべきだと思うが。
ずっと昔から変わらない国家権力が秘密裏に殺人を行うってのはやはり賛成できないね。
日本じゃ廃止になる可能性なんて、米国の圧力でもない限り、ゼロだけど。これは民度にも表れていると思う。
監督はアメリカの死刑制度に疑問を呈したのだろうか、素晴らしいドキュメンタリー・タッチの社会派作品だった。