「かくれキリシタン」
江戸時代の禁教期に、隠れてでも、キリスト教の信仰を守った人々を、一般的に「隠れ(カクレ)キリシタン」と呼ぶが、潜伏キリシタンとか、古キリシタン、昔キリシタンとか、地域によって、その表記も呼称も異なるらしい。
禁教以前・禁教中・禁教後と、信仰とオラショ(祈り)の形態も違ったりするそうで、大きく、仏教信仰と偽装して隠れて信仰を守った場合と、明治時代になって禁教が解かれても、本来の教会に戻らずに江戸時代の秘教スタイルを保った場合があるという。
外から来た宣教師も含めて、日本で処刑された、いわゆる殉教者は4000人以上(20〜30万人とする説もある)とされている。とにかく多くのキリシタンが犠牲になったのは事実だが、キリスト教の信仰スタイルが、日本の土着性や民族性、宗教性など、文化と混合して、独自のスタイルとなったようだ。
外国から輸入したものでも、受け入れて、日本独自のものに変えてしまうという日本独特の“ごちゃ混ぜ文化”がココにも現れているようだ。
多分、キリシタンは、単純に信仰を持って祈るだけでは満足しなかったに違いない。弾圧と表に出ずに隠れるということを材料に、徹底した自虐を自分に課して、マゾヒズムという(性的)快楽を見出したのではないかと思う。キリストの下に血塗れになって倒れて、現世での罪を背負って、天に召される自分を想像しつつ。だから、表に出てしまうと魅力が薄れるのだ。
しかし、熊本、長崎にこれだけの教会が建てられていたとはねぇ。山と海と西洋スタイルの教会と、とても美しく日本の風景にハマってるなぁ。遠くはないので行ってみたい。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。