「福田村事件」
今から101年前の、1923(大正12)年9月1日午前11時58分32秒に発生した「関東大震災」。マグニチュード7.9の揺れにより、死者・行方不明者は10万5,000人(推定)で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模。
そして、近年の地震災害でもそうだが、100年以上経った今でも、ネットを中心に、今だに流言飛語、つまりデマが、まるで見てきたように流される。
これは、多くが、日頃の、自分の不安・不満・ストレスを災害に乗じて発散するという、意識してなくとも、被災地を騒がせて快感を得ることを目的とした“愉快犯”の行為なのだろうと思う。
…ということで、昨年、森達也監督の映画が公開となった「福田村事件」の本である。
やっぱりヘヴィーで暗くて考えさせられる内容だった。図書館にあったので買わなくて済んだけど。映画はまだ観てない。
警察にちゃんと記録が残っているのに、朝鮮人虐殺はなかったなんて言い張る輩が今だにいるけど、人は、災害で、大きな恐怖や不安、ストレスにさらされると、その心のよりどころを、身近なところに敵を作って攻撃することに求めてしまうものなのだ。
そこで、根も葉もない流言飛語(デマ)が飛び交い、一気に広まってしまう。
関東大震災の頃と比べると、今はネットが発達して、隅々まで情報が行き渡る環境があるから、単なるデマという話題で終わることが多いが、状況によっては、人はいつ狂気に陥ってしまうかわからないものだから、福田村事件のような過去の悲惨な出来事でも知っておいて損はないと思う。
どこからともなく発生した“朝鮮人来襲“のデマだが、そのデマを最初に流したのは権力側という当時の証言も多い。
確かに、火事場泥棒のように犯罪に走った朝鮮人もいたかもしれないが、朝鮮併合などの歴史があって、大衆の差別と蔑み、恐れの対象であった彼らだから、即、デマが信憑性を持って広まり、攻撃・迫害の対象となってしまったのは予想できる。
そして、現在の千葉・野田市三ツ堀の福田村で、日本人の、薬の行商人の一行16名(29〜1歳)のうち、胎児を含む10名が、村の自警団によって、朝鮮人に間違われて、というか強引に朝鮮人とされて、様々な武器を使って、もしくは利根川に投げ込まれて虐殺されたわけである。
行商人は、香川県から出稼ぎに来ていたから、方言を喋ったことで、日本人ではないと判断されたのだ。
彼らは、行商人に多かった被差別部落の出身でもあり、ここでも結果的に差別問題があったことも事件の背景にある。
村のほとんどの若者が虐殺に関わっていることから、当時の、大震災後の村民の狂気・パニックぶりがよくわかる。
一応、虐殺の首謀者らは、警察に捕まって、スピード裁判を受けるが、「お国のためにやったのだ」という村民あげての意識が強くて、家族には見舞金が送られたりしている。
判決は、禁固刑で執行猶予の付いた者もいるが、大正天皇の死去による恩赦で、2年くらいで全員無罪放免となっている。
首謀者の1人は服役後、村長と市議をつとめたというし、被害者の遺族や関係者には裁判は何一つ知らされてなかったというから、被害者への思いが全く欠落しているという特殊な村の倫理を背景にした事件という構図が見えてくるというものだ。
まだまだ人権意識が弱い時代とはいえ、民族差別、職業差別、部落差別など、結果的にであるにしても、複合的な問題が絡んで起こった事件といえるであろう。
意外と、朝鮮人や朝鮮人とされた人々を自分の家でかくまったりして助けたのが警察官だったりする。
巻末の資料を見ると、内務省から各県に出された通達で、朝鮮人を識別する資料として、事細かに、風貌、骨格、言語、礼式、飲食、風俗、習慣などが記してあって、ナチスのユダヤ人識別と同じだと恐ろしくなった。
善良な人がカルト集団化すると、イデオロギーによって、ヘーキで善良な人を殺す、コレが人間なのだ。