「三島由紀夫事件」
50年前の切腹と介錯の検視写真が明らかになって、それを基にしたキワモノかなぁと思ったけどゲット。
当事者の証言による最期のドキュメントや監察医が見た首が離れた遺体の詳細、事件後の裁判の一部模様など、お手軽な内容だったけど一気に読めて面白かった。
しかし、この時期(事件は1970年11月25日)、今だになんらかの話題に上るって流石、三島先生だなぁ。ノーベル文学賞受賞の三島先生の師匠、川端康成だってこうはいかないよね。
三島マニアの俺はほとんど知ってることだけど、当事者たちの法廷証言による様子はやっぱり衝撃だ。懲役4年の判決後、メンバーは事件について一切口外してないからね。
刀(関の孫六)による介錯は、一回で首が落ちずに、最初は失敗して肩を抉り取るように切ってて、これはめっちゃ痛かったろうなぁ。2回目でも完全に切れずに、人が変わって3回目でやっと首が落ちるのだ。一緒に死んだ森田必勝は一回でキレイに首が落ちてるけどね。
切腹は腸がはみ出てるから相当深く引き回したらしい。これも“死ぬほど”痛かったろうから凄まじい覚悟と意志を感じるな。使われた刀は曲がってしまったために警察で廃棄処分になってる。勿体無い。
俺の考える三島由紀夫とは、戦後民主主義という相対の世界で、天皇という絶対を求めることのアイロニーのドラマで、その結果を出すには切腹という行為しかなかった。“大義”のために死ぬことを選んだのだ。
三島美学は絶対的な崇高美を至上とする概念の世界にあり、現実的には構築不可能な世界なのだ。だから、楯の会事件を現実に引き戻して右翼のクーデター未遂事件として論じてもあまり意味がないと思われる。
まあ、自分でも三島由紀夫を演じてるのをわかっていながら、結局、最期の自死に至るまで演じるしかなかったと思ってる。作家となって後半の人生、三島由紀夫の肉体そのものが表現・創作活動だったのだ。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。