カタマヒ雑感

歳を取ると、どうしてもグチなどネガな言葉や感情、悲劇的な見方が多くなるのは仕方ないことだろうと思う。歳を取ることは一つ一つ夢を捨てていくことでもあるから、置かれた環境や社会等々、叶わぬ理想と現実に徐々に疲弊していくからだ。

特に、重い障害者となれば、時折、健常者では見えてこなかった現実が突き付けられて、焦燥して逃げ出したくなることも多々あると思う。そして、幸福や元気、愛、感動、感謝、ポジティブなどの概念に安易に走り易くなるのもよくわかる。

結果、宗教的なモノやスピ系のマインドを選択するのは個人の自由だけど、厄介なのはそれを他人に押し付けることと(意識せずに)、全てがそこを基盤にしてしか考えなく、話せなくなることだ。つまりは“イタく”なるのだ。

俺はなるべく“イタく”はなりたくない。

せっかく、片麻痺という不自由なカラダを手にしたのだから、安易にポジティブな概念に走ることなく、グチって焦ってイライラして不安になって、泣いて、徹底的にネガティブに、カラダについて思い悩むのも一考だと思う。すぐに解決はなくとも。

例えば、数ある古今東西の文学、哲学、映画、絵画、美術などの表現行為は怒りや悲しみ、不安など人間のネガティブな感情をベースにしたものが多い。ほんの一部でも、それらに触れることで、何かが得られる場合があるかもしれないと常に考えてる。

俺は、安易な概念に走る前に、この不自由なカラダで徹底的に思い悩み、つまりは哲学したいと思ってる。それは脳のリハビリでもある。一部壊れた脳を鍛えよう。

ネガティブな感情も大切にしたい。脳卒中サバイバーだ。

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TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。