「太陽と鉄」
三島由紀夫の自伝的長編エッセイ2つ。
「太陽と鉄」は、日陰の暗い世界で概念のみで精神を縦横無尽に遊ばせていた幼少期〜青年時代から、眩い太陽が燦々と陽を放つ扉を開けて、肉体を意識して、それを鍛え上げることで、従来の精神をも凌ぐ強固な世界を手にした三島由紀夫が、太陽の下で行動することの素晴らしさを、シツコくイタい程に、訴えるもの。
その後の三島の行動の指針となるようなものだと思う。
そして、結局、明確な意識で“死”を受け入れている。このような自己証明は、必ず自己破壊に行き着くからだ。
出てくる限りの言葉を使って太陽と肉体と手を結んだ様子を書いてると思うが、読んでるコチラは、それがイメージとしてしか捉えられずに隔靴掻痒の感を禁じ得ない。つまり、何回読んでも解らな過ぎるのだ。
オマケで、自衛隊の戦闘機F104に搭乗して超音速飛行した経験が語られるが、コレも似たようなもん。
「精神の怠惰をあらわす太鼓腹や、精神の過度発達をあらわす助のあらわれた薄い胸などの肉体的個性を自ら愛してる人々があるのを知って、驚かずにはいられなかった。それは精神の恥部を肉体にさらけ出している無知厚顔な振舞というふうに思いなされた。このようなナルシシスムこそ、私が許すことのできない唯一のナルシシスムなのであった」って、よく言うわなぁ(笑)。以前は肉体を否定してたくせに。
一転、次の「私の遍歴時代」はとても面白い。
「もう一度原爆が落ちようとも、そんなことはかまったことじゃない。僕にとって重要なのは、そのおかげで地球の形が少しでも美しくなるかどうかということだ」と、圧倒的な耽美主義であった若き三島由紀夫の変遷がわかりやすく書かれている。
「私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的存在感ともいうべきものであった。すでに私はただの冷たい知性を軽蔑することをおぼえていたから、一個の彫像の様に、疑いようのない肉体的な存在を持った知性しか認めず、そういうものしか欲しいと思わなかった。それを得るには、洞穴のような書斎や研究室に閉じこもっていてはだめで、どうしても太陽の媒介が要るのだった」…。
有名な、太宰治と会って、「僕は太宰さんの文学はキライなんです」と開口一番言った話も入ってる。太宰は「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな」と返した。