「小説家の休暇」
日記や評論など諸々。再読。
「私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ…」。
時折出て来る太宰治への嫌悪を表した文章が三島らしくて面白い。
「芸術家としての俳優は、内面と外面とが丁度裏返しになった種類の人間、まことに露骨な可視的な精神である」。
たくさんの戯曲を書いた三島ならではの演劇論だ。
「自分が男のくせに男が好きなのは、自分が女だからだろうと思い込んでしまう」「サディストにとっては、真実の苦痛だけが必要である。ところがマゾヒストにとっても、拷問者の真実に憤怒だけが必要なのだ。共にその幻想には、彼自身の性的快感の原因および結果に、まったく性的ならざる衝動を仮定する必要があり、かくてサディストとマゾヒストは、馴れ合いで結ばれる場合はさておき、別々に幻想を抱いて孤独に生きることを余儀なくされる」。
性に対する件は三島だからこそ書けることだと思う。
これまた三島らしい「新ファッシズム論」もさすがだ。ファッシズムとは、窮地に追い詰められた資本主義の最後の自己救済であり、対極にあると思われる共産党から始まり、ニヒリストを受け入れる“芸術の政治化”であり、普遍的なものであると。
三島の文章を読んで、いつも思うことは、出版の仕事に関わる者であっても言葉音痴の人が圧倒的に多い中で、生まれつき優れた言葉の感覚というものを持っており、それを駆使する能力が天才的なのだなぁ、ということだ。
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