「カリスマへの階段」

久々のコリン・ウィルソン先生。

昔、「アウトサイダー」や「殺人百科」は面白く読んだけど、「オカルト」と同様、事実よりも思い込みが勝ったような…。

日本でも、大流行りな“カルト教団”とその周辺について分析した本。

太陽寺院やブランチ・ダヴィディアン、人民寺院、マンソン・ファミリー(これらはCD持ってた 笑)、モルモン教、コント、人智学、クロウリー、イェーツ諸々、なんと三島由紀夫までを取り上げて、人間は、なぜカリスマとなり、なぜカリスマは多くの人を惹きつけるのかを解説する。

アメリカの例が多いが、ほとんどの教祖が同様に唱える「審判の日は近い。救いをその手に受け入れた者は永遠に生きる。それ以外は全て死に絶える。永遠に生きたいと欲するものは私に従え」なんていう“教え”をいとも簡単に信じてしまうことが信じられないけど、それだけキリスト教がアメリカ人の精神の奥深くまで入り込み、アイデンティティと化してるからであろう。

そもそも宗教は人類の歴史と共にあり、様々な目的の欠如感を満たす対象であるのだ。

人間が生きるこの世界に、唯一無二の絶対というモノはなく、基盤として立っている宇宙もどうなっているのかわからない。自分の存在でさえあやふやなものである。ハッキリと認識できる確固たるものがない世界に我々は生きているのである。だからこそ、“神”という絶対的な概念を提示されると、安心して全てを任せてしまうのだと思う。

だから、人が極端なカルトに走るのは、何も特別なことではない。そういう性質は誰しも持ってるものなのだ。それに、間違った思い込みや迷信は、大昔から人類の根本的問題となってる。かといって、それが全て常識と科学に取って代わるなら、この世界は地獄と化すであろう。人間とはそんな存在なのだ。

教祖となる者の特徴は、共通して、幼い頃から、強い劣等感を持つことが挙げられる。そして、どんな形であっても、神を感じるという“神秘体験”を経験している。それが、今まで劣等感ばかりだったものが、啓示を受けたということで優越感に浸ることになる。それが快感だから、その優越感の幻想で自分を囲み、後に教義で武装するのだ。

そこからカリスマへと至るまでは早い。何の衒いもなく教義を持って人と接するために、人は彼に他とは違った特別なものを見るのである。

人間をカルトに走らせる根本的な要因は、ただただ“不安”のみだと思う。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。