【映画】「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」
DVDを買おうかなぁと思ってたら、TSUTAYAで見つけた!興奮して3回も観ちゃったよ。
「三島由紀夫vs東大全共闘〜50年目の真実〜」(2020年、豊島圭介監督)。
1969年(昭和44年)5月13日に、東大駒場キャンパス・900番教室で行われた、三島由紀夫と東大全共闘(東大焚祭委員会)の討論会についてのドキュメンタリー映画だ。そういや前に、この教室を見学に行ったよなぁ。
三島先生は、お堅い内容の討論テーマでも、時折、ウィットに富んだ発言をしたり、見られることをちゃんと意識して、求められる役割を徹底的に演じたスターだよね。虚像であろうと、やっぱりカッコいいよ。
考えれば、当時のスリリングな知的態度を残したままに死んだので良かったのかもしれない。三島先生に“老いの美学”は絶対に合わないと思うからね。
すでに70代となった東大全共闘の面々は、俺がイメージする団塊の世代そのまんまのような気がして、当時あれほど先鋭的に批判を展開した“核のない日本”を結局、体現してしまった感じもする。もしくは、有名な芥正彦氏のように、頑固に捻くれまくって他者を拒絶して、下の世代に怖がられるような。
ここでは、「革命」という言葉が、単なる政治のレベルを超えて、個人の、自己の存在を、この世界にどう位置付けるか、という哲学的レベルにまで深化されて、流石は東大全共闘で、俺にはとっても興味深い。三島先生にとっては、それが日本で、日本があってこその自分だったというわけだが。
右翼(三島)、左翼(全共闘)という括りは、外から見た第三者が納得するために勝手に設けたもので、結局、両者が言いたいのは、この世界における自己存在の確認と他者との関わり方(=社会、国)を模索するってことじゃないかしら?と思わせる。
演出として、今の世代にもわかるように編集をしたのだろうけど、ノーカットの、手を加えない編集なしで全部を観たかったね。
芥氏が、最後に「あやふやの猥褻な日本」こそが敵だったというが、そこに絶対的な天皇を求めて自裁することで美学を完成させるか、全てを徹底的に破壊しつくして“解放区”を目指すか、の違いだよね。三島も全共闘も、そして赤軍も「反米愛国」だったんだよねー。
加えて、解放区ってのは、理想や概念としては成立するかもだけど、自主的にしろ、外圧であったにしろ、最低限でも秩序を保つためにどこまで縛りを設けるかの問題があると思う。
現代作家・平野啓一郎氏の解説が一番腑に落ちて素晴らしい。
今では考えられないけど、“政治の季節”って一体、何だったのだろう。
革命にしろ、反動保守にしろ、全ての原動力は、ただ言葉にあることがよくわかった。
政治的なことはどうでもいい。もっと三島先生と全共闘の実存と他者に関する哲学に焦点を合わせて欲しかった。
しかし、当時、全共闘側が日共民青の討論会への襲撃を恐れていたというのには笑った。
ずっと下の写真は、今の、芥氏と抱えてた赤ん坊。