「八甲田山死の彷徨」
まさに、凍える今にピッタリの文庫(笑)。
昨年、この本を原作とした映画を観たけど、1902(明治35)年の、199名もの死者(生存者は11名)を出した、約210㌔、11日間に渡る青森連隊の八甲田山・雪中行軍を、ドキュメンタリー風に描いた長編小説。あくまでノンフィクションだ。
「天はわれ等を見放した。こうなったらゆうべの露営地に引き返して先に死んだ連中と共に全員枕を並べて死のうではないか」じゃなくて、われ等が天を無視した、だろうに。
日露戦争が間近に迫った夜、対露戦を見据えて、装備などの極寒対策の研究と実際の寒地での訓練のために、厳冬期の八甲田山を行軍することにしたのだ。加えて、八甲田山ルートが物資輸送経路として使えるかを試す意味もあった。
つまりは、雪中行軍に参加した青森5連隊と弘前31連隊は、人体実験に使われたと著者は書いている。
真っ暗な夜間の、横殴りの雪と寒風吹きすさぶ中、胸まで雪に浸かって一歩一歩進んで行く隊員らの、寒さ、痛さ、苦しさ、辛さは想像するに余りある。
ほとんどが凍傷にかかって、手脚も満足に動かせずに、一人、一人、また一人と動かなくなってゆく。立ったまま前に進む形で凍死するのだ。
死ぬ間際に、発狂する隊員も多い。眼の前に、母親はじめ身内の幻覚を見て叫ぶ、立木の群れを救助隊とカンチガイする、河を泳いで下ろうと軍服を脱いで飛び込む、急に褌一丁になって倒れる…。
2つの部隊を率いた2人の隊長は、1人は生き残って病院にて拳銃自殺している(創作)。
隊員ばかりでなく、道案内を買って出た村人も凍傷などでやられたが、連隊の責任者に、「このことは絶対に口外すべからず」と脅されたために、新聞等によって明らかにされるまでは戦々恐々の日々を送っていたとしている。
当時の軍特有の精神主義は言うまでもないが、無能なリーダーがいると、理不尽な命で、下は混乱し、体力を消耗し、時には生死をも左右することになるという典型的な例ともいえるだろう。