日本の美
いたずらに死を美化して、国(賊)葬という蛮行を強行して、国を葬るホントの国葬になりそうだけど、死によって葬られそうな諸々の問題が次々と挙げられていくのは、さすがはネット社会だね。イヤでも目に入って来るよ。
“強い”というイメージの下、仲間を大切にして、敵には開き直って、現実“的”に見せて正しいことにしちゃう手法は、たくさんの問題を抱える現実から逃避したい人々を心酔させるものだ。
カルトといっても、元々、カルト宗教と結託した政権運営をしてるのに、今更…って思わないでもないが、広告塔となった話題のカルト団体が半島出身であることに、半島を攻撃してた心酔者らはどう整合性を保つのだろう。右とされる民放テレビ局が一番、半島ドラマを放映してることと同様に。
こんな時に、私は正しいと声高に主張するのは、自分の内面から目を逸らすという正当性を理由にしているようにも思える。
無関心は罪の如く、かといって真実を見ようとはせずに、結果ありきで特定の団体を熱烈に支持することで、自分の醜さから目を逸らしてるのだ。だから、そういう人って目も当てられないほど醜い。
理不尽なことが多いけど、最初は、自分にとって最も大事なことは何かを確認してからだ。
一旦、狂気に陥ってしまうと反論しても、さらに狂気を増進させるだけだから、人は、イデオロギーでは絶対に歩み寄れない、相容れないものだ。
反戦平和運動をしてる人の内面がすでに戦争状態だったら、確かに説得力に欠けると思うし。極端になればなるほど、いがみあって、攻撃し合って、疑心暗鬼に陥り、空気のようにウソを吐き、都合の良い解釈をして。組織にいると潰れて精神を病む者も多いし。
一方、その反対は、発想力が貧困な分、基本的に変えることを拒否するから、自分が今、存在する場所や従来の慣習等を真っ向から否定されると、「じゃあ、そこから出て行け!」という単純明快な発想しかできないし。
四季と共に、移ろいゆくものに美と儚さを感じることができる。こういう日本の美をわかって愛することこそ、真に日本が好きだということなんだよ。