「日本の10大カルト」
俺にとって宗教とは…。
歴史ある神社仏閣や教会、礼拝堂、墓場、葬儀場でも、人々の想いや願い、哀しみがこもってると思われる場所は、信者でなくとも、自然と帽子を取って頭を下げて、敬虔な気持ちになるだろう。
死者であったならば、必要のない存在として決して雑に扱うことはせずに、花を供えて、線香をあげて、手を合わせて、丁重に葬ってあげたいと思うだろう。
…そういうことだ。
だから教祖も教義も預言も立派な施設もいらない。金が動くこともない。まさに自分の心の内だけのことである。
どんな宗教であれ、多かれ少なかれカルトであり、教祖と信者という関係の中で、そこに必ず利益が発生して、他者に対する排外と不寛容、独自の正当化、無想無念(つまりバカになる)が生まれるものである。
それが社会との軋轢を生むようになると、立派なカルト団体となるのだ。
例え荒唐無稽な教義であっても、不安と不満、幸せになりたいと願う大きな概念を持つ人間には、安心のできる、他人とは違うという優越感を持つことができるのであろう。だから多勢に無勢、惹かれていくのである。
カルトであっても、歴史を経て、社会に受け入れられるようになるとカルト性を失っていくことが多い。
宗教とは、理性の根源である非理性、正気の源泉である狂気を表わすものでもある。
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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。