親父の思ひ出
今日は“父の日”。
あれからいろいろ発覚して、バアさんもボケがさらに進み、親父に対する憎しみの種類も増えたけど、親父が49歳になって鹿児島工業高校の定時制を首席で卒業した時の記事を載せた新聞が出てきた。
確か、新聞社から取材の電話があって、当時、高校生の俺も質問に答えた覚えがある。
午後5時に建設省の勤務を終えると、すぐに高校に行く生活で、公務以外は無欠席、4年間で全教科の平均点が93点(!)と成績トップで卒業したとある。
コメントなど、盛ってるところもあると思うが、記事を読んだ知らない人から「感動した」との連絡もけっこうあったと記憶している。
親父は確かに勉強好きだったけど、当時、俺と弟は「また自分だけかよ。今さらなんだよ、恥ずかしいなぁ」と反発してた。
2回も高校に行くなど、人よりも勉学に勤しんだと思うけど、なんであんなに醜く自我ばかりの無様な老後を迎えたのだろうか。
やはり、それは自分のための学問ではなく、幼少期の体験から、人を見返すための、リベンジのための学問であったため、ただ良い成績を得て威張るためで、身に付いてなかったのではないかと思われる。
しかし、昔の新聞は文字が小さいのをぉ。
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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。