【洋画】「エイリアン」
Amazonプライムで、最初の「エイリアン(Alien)」(リドリー・スコット監督)と「エイリアン2(Aliens)」(ジェームズ・キャメロン監督)を観る。
両作品とも、鑑賞済みだが、何回観ても、ハラハラドキドキで、面白いものは面白い。
最初のエイリアンは、もう45年も前の1979年の公開(2は86年)なのかぁ。確かに、コンピュータは古いけど、建物や飛行船、さらに、H.R.ギーガーがデザインしたエイリアンとエイリアンの巣(?)の造形美は、充分、時代を超えてるね。
エイリアンシリーズの見所の一つは、性的モチーフを加味した、このダークなインダストリアル・デザインにある。完璧な生物体、エイリアンは、機械と生物が融合したような身体で、人間に寄生して成長を遂げる。雄雌がないから単体生殖かもしれないが、長い頭部はペニスのようでもある。
2では、たくさん卵を産み付ける「母」のようなエイリアンが出て来て、リプリー(生き残った少女は彼女をママと呼ぶ)と女同士の闘いを繰り広げるのだ。常に女が主人公である。監督の特徴である“強い女性”がフィーチャーされる。男は情けなかったり、弱かったり、すぐにやられたりしているし。
あらゆることに左右されない強い完全な生物体は、未来は女性性のみと訴えてるような気もする。男性性は人造人間で事足りると。
もう一つ、気になったのは、リプリーたちを調査に送り込んだブラック企業(多分)。「危険でも持ち帰れば、暮らしは一生安泰だ」と企業側の人間は言い、リプリーは「人間はエイリアンより卑劣ね。金のために仲間を殺すんだから」と返す。
例え、倫理に反するようなことであっても、生きている間、安泰であれば、知らない宇宙のことであるし、乗組員を殺してでも、エイリアンを持ち帰るという企業の倫理だ。環境保護でも何でも実効がないのは、こうした人間の欲と破壊の衝動の結果ではないだろうか。生きてる間さえ良ければ、死んだ後の未来のことはどうでもいいのだ。
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