【古典邦画】「名もなく貧しく美しく」

デコちゃん(高峰秀子)の夫、松山善三の、1961(昭和36)年の初監督作品「名もなく貧しく美しく」。

主演は、デコちゃんと小林桂樹だ。

聾唖者の夫婦が、障害のために散々苦労しつつも、終戦直後の社会を逞しく生きる姿を描く。実話ベースらしい。

デコちゃんも小林桂樹も、手話や聾唖者特有の喋りなど、映画のために相当、訓練して身に付けたのだろうと思わせるところもあって、聴覚を失っただけで、こんなに苦労をするのだと感動する悲劇のドラマだった。

マジメな松山善三監督らしく、聾唖者の困難を隠すことなく描いているのだが、最後に、デコちゃんを、何も交通事故で殺さなくてもいいのにぃ(泣)と思った。

戦争で夫と死別した秋子(デコちゃん)。
彼女は幼い頃に病気で聴覚を失った。
母親は秋子に優しかったが、姉や弟は、聾唖者となった秋子を差別して冷たかった。
秋子は、聾学校の同級生である道夫(小林桂樹)と再会して、プロポーズを受けて再婚する。
両親と同じく耳が聞こえないのではと心配されて生まれた赤ん坊は、深夜の泣き声を気付かずに死なせてしまう。
秋子と道夫は、路上でGHQ等の靴磨きをして生計を立てる。
やがて、次男となる一郎が生まれる。
道夫は印刷工となり、秋子は育児と裁縫の内職に励む…。

道夫と秋子の2人を、次々と不幸が襲う。

次男となる一郎は、小学校に入ると、両親の障害を理由に、友人と喧嘩ばかりをして、秋子の言うことを聞かないようになる。秋子の弟がヤクザ者となって、実家を売り払ったために、母親と同居するようになる。そして、道夫の給料を奪い、秋子の商売道具のミシンを勝手に売り捌いてしまう…生きることに必死だった時代、さらに障害を持ってることで、数々のトラブルに見舞われるのだ。

しかし、道夫は、怒ることもなく、全てを受け入れる。秋子が絶望して家を出ても、追いかけて来て、手話で優しく諭す。障害を持ってるからこそ、どんな他人でも、優しく全てを受け入れる姿勢を崩すことはないのだ。

やがて一郎も成長して、両親の障害を理解して、家に友人を連れて来たりする。トラブルもなくなり生活も安定して、貧しくとも私たちは幸せだ、と言ってた矢先に、秋子は、耳が聞こえないために道路でトラックに跳ねられてしまう。

言葉を失う最後で、ええ、そりゃねえだろ、とショックだったが、秋子なりに、貧しくとも美しく生きたのであろう。人の運命なんて皮肉なものだ。

人それぞれの環境下で、“美しく生きる”とは多分、困難なことだ。障害を持ってるからこそ、柔軟な姿勢で全てを受け入れる覚悟を持つべきかもしれない。障害の種類は違うが、同じ障害者として、身につまされる話だった。障害を特別なものと思わない方が良い。

秋子の不良の姉は草笛光子だった。

「自分が幸せになれたら、今度は人の幸せを考えなければならないと思います。健康な人でも僕たちよりも不幸な人が世の中にはたくさんいます。よく考えてみると僕たちは耳が聞こえないから神様が幸福にしてくれたのかもしれません」


いいなと思ったら応援しよう!

TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。