「三島由紀夫と楯の会事件」

1970年11月25日の事件について、主に政治的な側面から描いた傑作。以前、単行本でも読んだと思うけど。

思えば、三島由紀夫程の文学者が、何の効果や影響も考えずに、突発的に事件を起こして割腹自決を遂げたなんて、絶対に考えられない。

事件を詳細に知っても、楯の会のメンバーと市ヶ谷駐屯地に乗り込んで隊員の前で演説したからといって、果たして三島が望むような政治状況に少しでも近づくことになっただろうかと言えば、それも程遠い。

では、なぜ事件を起こしたのか?何が三島を決起に駆り立てたのか?

やっぱり三島由紀夫自身の美学を完結させるためだろうと俺は考える。

私設民兵との位置付けだった「楯の会」を結成したのもその伏線だと思う。

“オモチャの兵隊さん”と揶揄されながらも、自衛隊に体験入隊し、銃は持たないけど、厳しい訓練を重ねて準備してたのも、ただ形、格好だけの存在としておくことを三島が許すわけもなく、結末は見えていたものと考える。三島由紀夫あっての楯の会だから、三島亡き後はすぐに解散してるし。

ただ、当時の“10・21国際反戦デー”に左翼各派の騒乱で、自衛隊の出動を睨んでいたから、そこで、自衛隊を補助する楯の会の出動は想定してたと思うが。

実際には、警察権力を脅かす程の騒乱は起きずに、当然、自衛隊の出動もなくて、三島由紀夫は「楯の会の活躍の場を失った」と絶望的な気分に落ち込んでたという。三島は死ぬ機会を失ったのだ。

実際に、活躍の場を失ったことと、ノーベル文学賞を取れなかったことが、事件への準備を加速させただろう。

三島由紀夫の、具体的な政治思想や天皇の位置付けも、話したり、ちょっと書いたり(文化防衛論、反革命宣言)はしてるものの、ハッキリと確立してたわけじゃない。要は、政治的な行動家・思想家としては曖昧なのだ。それだからこそ、事件に関しても、今だに、なぜ事件を起こしたのか?何が三島を決起に駆り立てたのか?と問われるのだ。

結論は、「美しく死ぬこと」だったと思う。

戦後民主主義というイデオロギーを完全否定して、天皇という絶対的存在・概念の下に、マゾヒスティックに身を委ねて忠誠を誓い、切腹という作法に則って潔く死ぬこと、そこに崇高な美を見出すのだ。血とエロスの世界。

だから、そこに至るまでの過程はどうでもよく、ただ、動機や行動が純であることが条件であるのだ。

革命・維新は理想を現実が裏切っていく世界だから純ではいられない。事件は、テロでもクーデターでもないけど、もし成功していたら根本から三島美学が壊れてしまうことになる。事件について政治家連中が理解できないというのも納得だ。

作法に則った死という結果だけを達成できれば、それで満足だったと俺は考える。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。