俺が存在するから、世界も存在する

俺が存在するから、この世界も存在するのだよ。

カルトでも何でも、俺にとっての宗教とは

神社仏閣や教会でも、人々の願いや想いがいっぱいの場所は、別に信仰するものではないものの、帽子を取り、頭を下げ、手を合わせ、敬虔な気持ちになるだろう。

墓場も一緒。墓場で悪いことはできないし、線香をあげ花を供えて、手を合わせ、安らかにお眠りくださいと言いたくなるだろう。霊などなく死後の世界なんて無だとわかってても。

そういうことだ。

だから神や教義、開祖、預言者、組織法人は必要ない。いらない。

宗教は、現実を緩和してくれる、まともな心の遊戯だからね。

この季節、田んぼのあぜ道のところどころにスッと伸びてる彼岸花。
毒のように死人への想いが深まる曼珠沙華。
ちょっと色がくすんで見えるのも良い。

しかし、今年は暑いせいか、まだ見ない…。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。