「日本文化の核心」
リスペクトするセイゴオ先生の日本文化論。
俺も、日本の、一途で多様・雑多で、高尚なようで低俗、低俗なようで高尚な文化の正体・核心について、なんとなくはわかってるつもりだったけど、大昔から近代まで、ここまで平易に解説して頂けると、納得して、溜飲を下げるってもんだった。
そのホンの一部だけど…、
①日本の神は、唯一絶対神ではなく、あくまで”客神“であって、“常世”からやって来て、事が済んだら、さっさと帰って行く神なのだ。そして、我々は柱を立てて、“結界”を作って、神をお迎えするわけだ。日常と非日常、ハレとケの行ったり来たりの従来感とも繋がって来る。
②日本の歴史上、最初で最大の文化事件は、大陸からの漢字の輸入であったが、漢字をそのまま使うのではなく、日本語に合わせて使ったり、日本語的な漢文を作り出したり、独自に“編集”した事が大きな特徴。なんといっても平仮名の発明は革命的だったけど、大陸から漢字というグローバル・スタンダードを導入して、初めからそれをリミックスして、オリジナルの日本文字を作ったということは、そこに独特の柔軟な意味を付加したことと併せて、現在までの日本文化の大きな特徴となっている。
③日本は、一神教でも多神教でもなく、多神多仏の国である。宗教を拒否してるわけじゃなく、その都度、信仰の向きを選択してるのだ。
④小さいものは美しい、とても大事なものに感じる文化がある。スモールサイズとはまた別で、ショートバージョン、ショートカットの妙味である。現代のバズワードはコ(小)ギャル。
⑤日本の学びは「マネび」。明治以来の、新しい日本を作るための学びも、古い日本を自慢するための学びも偏ったものだった。それは結局、ナショナリズムに帰着してしまった。
⑥日本の権力システムは、システムなきシステム、権力中枢の不在を補うシステムで出来上がっている。
イヤ〜、頭がボンッと爆発しそうな、メッチャ濃ゆい内容のセイゴオ先生の新書であった。
常に、ハッキリとはしないのだが、その朧げな面影に至上の美を見出して、ハラハラと涙を流して、抗うことなく、それと一緒になってユラユラと揺れている…俺が感じる日本文化の美ってそんな感じだね。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。