「友だちのうちはどこ?」

また、イランのアッバス・キアロスタミ監督のステキな映画を観た。「友だちのうちはどこ?‫ ‬(Where Is the Friend's Home?)」(1987)。

イランのある地方の村の小学校で、主人公の8歳の少年が、間違えて隣の席の友達のノートまで持って帰ってしまう。
このままじゃ友達は宿題ができずに明日また先生に怒られてしまうと思い(友達は前日、ノートでない紙に宿題を書いてきたために酷く先生に怒られた)、ノートを返すために、暗くなるまで友達の家を探して歩く姿を描く。

家で「まずは宿題を済ませなさい」とうるさく言う母親から、タバコを持って来いと頼む祖父、ノートを一枚破ってくれと言う大工の男、友達の家まで連れて行くと言うドアを作る老人と、大人たちの邪魔が入って、友達の家には辿り着けずに、結局、夜になってしまう。

意外と怒らずに優しく夕食を出す母親の前で、少年は疲れて憔悴してしまう。彼は友達の分も宿題をやって、明日、学校でソッと渡すことにする。

翌日、少年は寝過ごして遅刻するものの、友達にノートを渡すことができて事なきを得る。

ホントに、小さな世界の小さな物語だけど、澄んだ眼をした少年(職業子役ではないという)を見てると、大人たちの表情を窺いながらも、友達を想う彼の心の内が痛いほどわかる。

自分が少年だった遠い大昔を想って、心温まり過ぎて泣けてくる。キアロスタミ監督は何でこんなに優しいフィルムが撮れるのだろうか。

彼の祖父が「子供はとにかく躾が大事だ。週に4回は何か理由を見付けて叩く」と話す理不尽に威圧的な態度や、決して子供の目線に立たない大人たちを通して、少年は一皮剥けて少しだけ成長したのかもしれない。

いつの時代も大人と子供はズレを経験するものだ。当たり前だけど。子供は時に大人以上に残酷だけど、時に大人以上に優しい心を持つ。大人の世界の社会や因習を受け入れていく前の子供たちの下からの目線に、荒んだ俺もメッチャ癒されたよ。確かに少年の行動は無駄だったわけだが、そんなことはどうでもいいじゃんか。

ただ優しいだけじゃなく、アラブ世界やイスラム圏を背景にしたこのフィルムの裏、キアロスタミ監督の表現するものを読み取りたいと思ったけど、少年の大きな眼を見てたら、そんなことはどうでもよくなったね。

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TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。