「三島由紀夫未発表書簡」

魅死魔幽鬼夫が、怒鳴土鬼韻(ドナルド・キーン)氏に宛てた書簡全97通を原文のまま収録したもの。

前にも読んだけど、私信だから取り立てて面白いというものではないが、やはり、自決直前の手紙に注目してしまう。

主にアメリカでの著作の翻訳を任せていたことが多いため、交友は打ちとけて親密で、キーン氏の来日を何回も望んでいる。

外国人で心を許した友人だからか、毎回、ユーモア溢れる文で筆が乗ってるようだ。

昭和45年11月の最期の手紙では、「小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。キーンさんの訓讀は学問的に正に正確でした。小生の行動については、全部わかつていただけると思ひ、何も申しません。ずっと以前から、小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思つてゐました…」などと書いている。

昭和36年の「風流夢譚」事件では、三島も深沢七郎の作品を推薦したとして、右翼に脅迫を受けて、一時期、警察のガードマンが張り付いていたことも面白おかしく綴ってる。実際には、深沢七郎の作品と自分の「憂国」を併載すればどうかと編集部に助言しただけなのだが。

三島邸に、高校生が訪ねて来て、玄関先で「先生はいつ死ぬのですか?」と問われて言葉に詰まったエピソードもある。

「ご承知のとおり、作家は傑作よりも、失敗作のなかに、彼の美点も欠点も、それぞれ露骨に示しているものです。傑作の中では、美点と欠点が渾然と融け合って、見分けがつかないのです」
なるほど。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。