「あさま山荘1972・下」

先日の上巻に続いて、下巻読了。

中心は、さつき山荘からあさま山荘への侵入、長引く籠城、警察側との徹底抗戦、機動隊による強行突入から逮捕に至る、いわゆる「あさま山荘事件」の部分だ。

中に閉じ籠った当事者が書く様子は、手に汗握るようなドキュメンタリーとしても面白かった。

人質にした山荘管理人の牟田泰子夫人とのやり取りや、民間人だった田中保彦さんをはじめ警察関係者数名の狙撃、放水と催涙ガス、モンケンによる破壊などなど、山荘の中はこうだったのかと興味深かった。

坂口弘氏によると、逮捕か狙撃等で殺されるか、どっちにしても勝ち目のない、しかも女性を人質にとっての卑怯な立て篭もりを、なぜ徹底抗戦として続けたのか?について、山岳ベースでの“総括”によるリンチ大量殺害の過去があったため(あさま山荘事件の時はまだバレてない)、ひたすら徹底抗戦することで左翼としての“良心”を示そうと考えてたという。

もちろん坂口氏は、「はなはだしい見当違いで、誤りに誤りを上塗りするものでしかなかった」と書いてるが、当時の思考では、警察権力と非妥協的に闘っていくことこそが、左翼としての責務を果たすことであり、それが左翼の“良心”であると思い込んでいたと。

警察の高見警部が撃たれて亡くなっているが、遺体解剖鑑定書でも裁判でも、今だに誰が撃ったのか、ハッキリとわかってないという。被弾した警察関係者には、後に坂口氏が手紙を書いて、母親が謝罪に出向いているが、皆、拒否することなく受け入れてる。

時系列では逆だけど、最後に山岳ベースでのリンチ殺人の様子が書かれており、唐突な感じで終わってるが、その後の原稿が関東郵政監察局の事故?によって紛失、坂口氏は紛失した部分を書き直し、2年後に「続」として刊行されている。

メンバー皆で殴打して総括させるという訳のわからん狂気の所業の背景には、リーダー森恒夫を中心とした「銃による殲滅戦」「人と銃の結合による共産主義化」という、これまた訳のわからん宗教的な空想があったらしい。殴った末に死亡すれば“政治的敗北死”だって。

当時、総括という言葉は流行語にならなかったのかなぁ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。