ミイラ特別展
去年オープンした市内桜町のバスターミナル複合施設にある熊本城ホールにて、「ミイラ特別展〜永遠の命を求めて」を覗いて来た。
複合施設がデカ過ぎて迷ったけど、マスク着用チェック、アンケート記入、体温検診を経て、障害者割引の入場料を払って中へ。
乾いた気候で自然にできたミイラと人工で作られたミイラがあるけど、どっちにしろなるべく原型を留めてるのがミイラの定義だ。
展示では精巧なレプリカが多くて、ホンモノは少ないが、それでも、なんと気が遠くなるような6000年前ほどの氷河で見つかったアイスマン(レプリカ)まで展示されててヘェ〜と唸っちゃったよ。
しかし、このアイスマン、tattoo(トライバル)が施されてて、それも現在、世界最古となるのだが、その説明が一切なかったのはどういうわけだ?そんな大昔から墨を身体に入れる技術を持ってたんだよなぁ。現代は忌み嫌われてることが多いけど、tattooは人類の歩みとともにあったのだ。やっぱり人類は自然とは別になるべく独立しようと抵抗してたのが文化ではないだろうか。
権力者が死んだためにその死体を保存して祀る例と、子供など神へのいけにえとして殺してミイラにする例があるようだ。
魂がまたあの世から戻って来ると考えたので、なるべく死体が腐らないように工夫・努力したみたいだが、途中で“そんなのムリやんか!”と気付いた人はいなかったのだろうか。宗教的行事になっていったのだろうか。
たいていのミイラは手脚を折り曲げて小さくまとまっているけど、姿を見てると、死ぬ前の親父を思い出した。
ミイラを観察して当時の人類の生活等を予想して共通点でも見出せばけっこう楽しいね。歴史を学ぶ醍醐味はここにある。ミイラじゃなくても、遺物から過去がわかれば、幼い自分を探るような懐かしい気持ちになれるから。未来は勝手に予想できるけど、わからないし、学べないからね。過去をちゃんと捉えれば、来るべき未来も捉えることができると思う。
あっ、そうそう。中南米(だっけな?)のミイラで男のイチモツを別にデカくしてまたミイラに付けるってのがあったけど、野郎はミイラになってまでデカいモノに憧れるのだろうか。確かに男には立派なモノが、女には巨乳がついてた方が見栄えは良いだろうし、神々しくもあるね。会場には子供連れも多かったけど、スルーしてた(笑)。
日本のミイラは即身仏だ。死んだらどんなに念仏を唱えようが“無”だと思うけど、後に残る生きている人たちがそれぞれ受け止めるものがあるだろう。もっと表情がわかるくらいにミイラ化してれば良かったのになぁ。髑髏に薄く皮が付いてる感じだった。