【古典映画】「静かなる決闘」
黒澤明監督の、1949(昭和24)年のモノクロ作品「静かなる決闘」。
近くのTSUTAYAになかったので、遠くのTSUTAYAに行ったらあった。
これで黒澤明監督作品は全て観たことになる。
まだ若い初期の作品だからか、ストーリー展開や演技・演出など、稚拙な部分が目立つけど、まあ、それがクロサワさんらしいといえばそうだ。
降り頻る風雨、夏、汗、汚れ、泣き叫ぶ、格闘、大袈裟な演技…基本、それがクロサワ映画のダイナミズムである。
三島由紀夫が評するところの、黒澤明は「すばらしいテクニシャンだけど、思想は昔の中学生並み」というのは全くその通りだと思うけど、時に、人間の本能の叫びを何も考えずにそのままに撮ると、それがゆうに思想を超えちゃって、観る者の心を激しく打つことがあるものだ。
「七人の侍」「羅生門」「生きる」等々、傑作ももちろん多いが、駄作もそれなりにある。それがクロサワ映画なのだ。
さて、この映画は、三船敏郎を主役に、野戦病院で軍医として働く青年医師が、患者を手術中に誤って自分の指にケガをして、患者が持ってた梅毒に感染してしまう。
それ故に、婚約者とは距離を置き婚約破棄、己の病と闘いながらも、患者に対して黙々と治療を続けていく青年医師の苦悩を描いたもの。
青年医師が、心を開いた、暗い過去を持つ元ダンサーの看護婦に泣きながら話す。
「僕は梅毒さ。しかし、それは僕の罪でもなければ、僕の欲望も知ったことではないんだ。僕の欲望は何も知らないんだ。今だに新鮮なんだ。そいつが時々喚くんだよ。ところがその欲望を徹底的に叩きのめしてしまおうとする、道徳的な良心ってヤツがのさばってるんだ。そいつを跳ね飛ばして、この欲望の中に溺れちゃ、なぜいけないんだ。その方が人間として正直なんじゃないのか。ただ我慢してる僕はただ滑稽なだけだ…」。
婚約者とも別れて、独りで病と向き合う覚悟を決め、人として、どこまでも誠実に生きようとした青年医師が、気を許した相手に弱さを見せた瞬間だ。
誠実さと正義感、人間性を武器に、怯むことなく困難に立ち向かうという設定は、クロサワさんが好んだテーマだが、ただ現実感が乏しい故に、クロサワさんの理想であったろうと思う。
欲望が支配する社会において、欲望を超えた誠実な人間性への希望を失わなかったといえよう。そこが、単純な人間には感動に映るだろうが、底が浅いと思われる所以かもしれない。
次は、溝口健二、成瀬巳喜男だな。