【古典邦画】「路傍の石」
大昔に読んだと思うけど、山本有三の「路傍の石」って、こんなに辛くて悲しい物語だったっけ。「真実一路」の間違いだったか?
1938(昭和13)年の、田坂具隆監督の映画をAmazonプライムにて。
当時の文部省推薦映画の第1号だって。古いのでフィルムの劣化でセリフがわからないところも多々あった。数回映画化されてるんだね。
成績優秀で優等生だった小学生の愛川吾一だが、またまた父親がクズなダメ男で、母親が内職で家計を支えており、経済的理由から中学への進学を諦めざるを得なかった。
小学校を卒業した吾一は、同級生の家の呉服屋へ丁稚奉公に出されることに。
学校では仲良く遊んだ同級生とその妹だが、「お坊ちゃん、お嬢さん」と呼ばされて、命令することには「へい!」と応じることを強制される。
妹は学校では吾一に優しくて初恋の相手であったのに。
それでも我慢して務めていたが、吾一を支えた母親が亡くなったという知らせが入る。一回ストレスから脳梗塞になって倒れた母親は、近所の優しくしてくれるお兄さんとの不義を父親に疑われて自殺したのだった。
「お坊ちゃん」の宿題をやらされ、務めの合間に本を読むなど、学問への意欲を失わなかった吾一だが、不真面目だと叱られて、東京にいる父親のところへ返される。
父親の住んでいた家には、すでに父親はいなくて、代わりにイジワルな下宿屋の母娘が住んでいて、吾一はまた丁稚奉公のようにコキ使われる。
しかし、下宿する大学生に学問を習う。
あまりにも理不尽なことを命じる母娘に、ついに吾一はブチ切れてガラスを割って、独り都会の雑踏に飛び出す…。
ココでフィルムが消失してるらしくて、ラスト20分くらいは残念ながらわからない。
吾一を演じた子役がメッチャ素晴らしい。美少年だし。まつ毛の長い大きな眼には、現実をシッカリと見つめる意欲が備わっており、それでいてキラキラと輝く程、純粋で、学びたいという強い意志と自分の道は自分で切り開くという決意が伺える。
吾一が、同級生だった「お坊ちゃん、お嬢さん」に、宿題をやれとか、靴を履かせてとか命令され、仕方なく頭を下げて、「へい!」と応じるシーンが一番辛いね。屈辱マックスだっただろう。
当時の、階級によって個人が左右される貧しい社会がよくわかる。次から次へと不幸な事態に見舞われる吾一。福沢諭吉の「学問のすすめ」を読むシーンがある。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」。しかし、現実はそうじゃない。天才とバカ、リッチと貧乏、身分の高い人と低い人、ちゃんと差がついている。だから、その差を埋めるために学問をしろということだ。
恩師と慕う小学生の先生がいう。
「吾一という名前は”我は一人なり”ということだ。世界に何億の人間がいるかしれないが、吾一は、世界にたった一人しかいないのだ。たった一人しかいない自分をたった一度しかない一生を本当に活かさなかったら、生まれてきた甲斐がないじゃないか」
下宿する大学生がいう。
「世の中には、声を出す絵と出さない絵があるんだ。詩のある絵は声を出すんだ。石でも叫ばんという時代に、絵だって声を出さずにいられるか。その声は誰かに蹴飛ばされないと、何かに押さえつけられないと、腹の中から本当に声が出て来ないものなんだ。コンチクショウと跳ね返す力が俺たちの声なんだ。稀代の詩人は必ずこうした苦労の中から生まれて来るに決まってる」
まさに、昔の、胸を打つ文藝映画だな。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。