「連合赤軍事件 50年目の真相」
連合赤軍が起こした一連の事件で、俺が最も興味を引かれるのは、“革命”を目論み孤立化した閉鎖的な空間においての陰湿・残酷な人間性の発露のみである。彼らの空想的な思想や理論、行動には全く何の興味もない。
と言っても、連赤関連の本はほとんど読んできたし、軽井沢の「あさま山荘」や墓碑、ベース跡地なども、わかる限り、見に行ったものだ。
あの事件が起こった時は5〜6歳だし、ほとんど記憶はないけど、ずっとテレビを見てたと思う。連中が捕まって顔を上げさせられて連行されるシーンを見てて、台所にいた母親に「お母さん!捕まったよ!」と声を上げたのを朧げながら覚えてる。
不思議なのは、時代の雰囲気もあるかもしれないけど、本当に“共産革命”が実現して、労働者が主体の、貧富の差がない誰もが平等な天国のような社会が実現すると思ってたのだろうか?
高校くらいに、連赤や日本赤軍のことを詳しく知って、例えば、クラスでも成績の良い生徒がいて、先生に殴られる不良がいて、いじめるヤツも、いじめられっ子もいて、先生の前では態度を変えるヤツもいて、とにかくそれぞれバラバラなのに、皆が同様に平等で幸せになれるって、この連中はそういう空想のために爆弾を作って、人を殺して、ハイジャックをしたのか?と首をかしげたものだ。
いくら立派なイデオロギーでも人間の本質を変えることは絶対にできないと思う。無理矢理変えようとすると全体主義になるし、連赤のように“共産主義化”や“総括”などの全く意味のない言葉と概念だけが独り歩きして、ホラー映画も真っ青のリンチ殺人を起こしてしまうのだ。
この時リーダーの森恒夫や永田洋子が唱えた「総括理論」とは、あらゆる人間的欲求を絶って“共産主義化”すればどんな困難にも耐えられるようになり、もし弾に当たっても死ななくなる、そうなれば無感情で人を殺せる革命家になれるので、人民を幸福にできるという支離滅裂な狂ったものであった。カルトもスターリンをも超える妄想。
このお手軽な文庫に出てることはほとんど知ってることだけど、やはりリンチ殺人の実態を読んで想いを馳せるとたまらなく悲しくなる。
12名のほとんどが森と永田の言いがかりによって、殴る蹴る、自分でもやらせる、ナイフで刺す、ロープで首を絞める、海老反りに縛り上げる、極寒の外に縛る…特に女性メンバーに対するリンチは凄まじい。サディスティックな人間性が全開だ。人間はここまで残酷になれるものなのか。
故・若松孝二監督の映画の話もあるが、結果、「みんな勇気がなかったんだー!」じゃあ、白ける。本人にも言ったことがあるけど。
連赤の連中は何も特別な人たちではない。普通の、勉強ができる、優等生のような正義感に燃えた、多分にイタい人々だったのだ。オウムと一緒。カルトにハマってしまうタイプかもしれないが、環境と状況によって誰しもこうなってしまう可能性は絶対にあると思う。