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中国の学歴社会がもたらした若者の価値観—ある大学院生のライフストーリーに着目して

1. 問題の所在

1.1. インタビューの目的

 現代の中国社会の特徴として「超学歴社会」が挙げられる。大学の進学先によってその後の人生が決定されるため、中国大学統一入学試験(通称「高考」)での競争は熾烈を極める。また大卒者の人口が増加した中国においては、たとえトップクラスの大学を卒業したとしても、修士や博士といったさらなる学位を積み上げなければ(あるいは積み上げたとしても)、中国国内での就職は困難であるとさえ言われる。2021年7月には、学校の宿題を減らし学校外教育を禁じた「双減政策」が打ち出されたが、依然として中国社会の「学歴至上主義」は根強い。

 インタビューを行う前に、ある中国出身の大学院生にインフォーマルな聞き取りを行ったところ、彼はスポーツに秀でており、一般の学生と同様に学習にも注力してきたことが語られた。それにもかかわらず、彼は社会や周囲の人々、そして自身の中に形作られた「学力のみを重視すべき」という考え方によって苦悩を抱えたことを明かした。本稿は、1名の中国出身の大学院生の語りから、「超学歴社会」という苛烈な競争がもたらした、現代中国の若者の価値観を明らかにすることを目的とする。


1.2. インタビュイーの紹介

 インタビュイーであるCさんは、東京都内の大学院で国際政治学を専攻する学生である。Cさんは1994年に中国のX省Y市で生まれ、父と母のもとで育った。小学6年からY市体育局の水泳クラブに所属し、大学1年まで競技を続けた。高校生のときには、中国の「運動員等級制度」において、全国大会で8位以内に入賞した選手やそれに相当する選手に与えられる「1級運動員」の称号を獲得した。称号を獲得した選手は「高考」で加算され、Cさんはこの制度を利用して大学に進学した。大学卒業後の2018年に来日し、2022年4月に東京都内の大学の修士課程に入学し、現在に至る。


1.3. インタビューの方法

 Cさんへのインタビューは、2022年12月27日と2023年1月5日の2度行った。いずれの調査も、事前に用意した質問と調査対象者の語りに応じた質問を併用する、半構造化インタビューの手法をとった。初回の調査の時点では、かつて水泳選手だったCさんのライフストーリーを、中国のスポーツ政策やスポーツイベントに結びつけて記述することを考えていたが、Cさんの語りの中で際立ったのは、「超学歴社会」という中国の社会事情であった。そのことを踏まえた上で、新たに質問項目を作成し、Cさんに2度目のインタビューに応じていただいた。

 またインタビューを行う際には、Cさんと同じ大学の修士1年で、中国出身のSさんに立ち会っていただいた。Sさんには、インタビューが円滑かつ適切に進むようご助言を賜ったり、中国の政治・文化的な背景を補足していただいたりした。すべてのインタビュー内容はICレコーダーで記録し、特に重要だと考えられる部分はメモに残した。録音データを文字におこす際には、Cさんの言葉遣いを尊重し、できる限りそのままにするよう心掛けた。


2.  「自分を証明したい」という語り

2.1. 「文武両道」の生活

 Cさんがスポーツを始めたきっかけは幼少期に遡る。病弱だったCさんは、毎晩のように高熱を出しては、点滴を打つ生活が続いていたそうだ。心配したCさんの父親は、体力づくりのためにバドミントンを始めないかと提案した。しかし、扁平足だったCさんは、足への負担を考慮して、1年ほどバドミントンを続けた後に水泳へ転向した。ほとんどの水泳選手が小学校低学年から競技をはじめる中、Cさんは小学校6年生と遅かった。それにもかかわらず、Cさんは自由型と平泳ぎで頭角を表しはじめた。

 それからのCさんの生活は、「文武両道」そのものだった。中学、高校とY市のトップの学校に進んだCさんは、忙しい学業の傍ら、日々のトレーニングを欠かさなかった。体調を崩した際は、両親に「今日は休みたい」と訴えることもあったが、厳しい両親がそれを認めることはなかった。たとえどんなに高熱を出していたとしても、冬場は気温が5、6度にまで下がる屋外プールで、水泳の技術を磨き続けた。Cさんが高校1年生になる頃には、省の大会で8位以内の成績を残した選手に贈られる、「2級運動員」の称号を獲得した。さらなる転機となったのは、高校2年生の頃に開催されたX省大会だ。4×100メートルメドレーリレーで自由型の代表に選ばれたCさんは、その大会で好成績を残した。結果としてこのときの記録が「1級運動員」に相当すると認められ、大学の入学試験の得点に加算することができた。

 以下(表1)は、Cさんの高校3年次の平日のスケジュールを、一般の学生と比較したものである。中国の高校では、午前と午後の授業を終えた後に、「晩自習」と呼ばれる自主学習の時間が時間割に組み込まれており、生徒たちは夜遅くまで学校で机と向き合う。Cさんの通っていた学校も例外ではなく、3コマ分の自主学習の時間が設けられていた。当時、水泳の成績を利用して大学に進学することを決めていたCさんは、「高考」のほかにスポーツの実技試験の準備も必要だったため、「晩自習」のうち2コマを水泳のトレーニングに充てた。それまで通っていたY市の屋外プールは、気温の影響を受けやすくコンディションを保ちづらいことから、Y市の郊外にある室内プールに通った。17時頃に授業を終えると、父親の送迎でプールへと向かい、3時間程度のトレーニングを行った。夕食をとるのはいつも送迎の車内だったそうだ。その後再び父親に送られて学校へと戻り、3コマ目の「晩自習」に出席した。このときの生活についてCさんは、「すごく疲れて、ベッドと少しだけ接触したら寝てましたね」と述懐する。



 一般に、中国の大学競技スポーツの「高レベル運動選手」は3通りに分類される(片岡 2008)。第一に、大学入学以前に国家代表チームか省や市の代表チームだった選手である。このタイプの選手は、幼少期からスポーツ中心の生活を送ってきたため、基礎学力が低い場合が多い。第二に、国家や地方の体育行政機関による(以下「体育系列」)アマチュア体育学校で、スポーツの指導を受けてきた学生である。こうした体育系列の学校側では、半日は学業に勤しみ、残りの半日がスポーツの時間に充てられる。そのため、第一のタイプと比較すると学力水準が高い場合が多いが、大半は一般の学生に及ばないとされる。第三に、教育行政機関による(以下「教育系列」)「体育伝統学校」などの学校でスポーツを続けた学生である。一般の学生と同様に学校教育を受け、日本の部活動に近い形態でスポーツをするため、先述した二つのタイプの学生よりも学力面の問題が少ない。

 Cさんの経歴は、上記のいずれにも当てはまらない。Cさんは、体育系列のクラブチームに所属していたが、水泳学校に属していたわけではない。加えて、教育系列の「体育伝統学校」ではなく、地元の進学校に在籍していた。Cさんが水泳に的を絞った進路を選択しなかったのは、大学への進学を見据えてのことだった。中学、高校と水泳に集中すると、大学でもスポーツを専攻することになる。中国にもスポーツに特化した大学はいくつか存在するが、中国の大学の最高ランクである「一本」の大学[1]に該当するのは、北京体育大学のみだという。そのため多くの場合、高校の学業成績が振るわず、なおかつスポーツの成績もトップクラスではない生徒たちが、体育大学に進学するのだそうだ。


2.2. 不本意な大学入学

 Cさんが志望校として考えていたのは、「一本」の大学の中でも最難関とされる「985工程」の大学だった。大学統一入学試験の本番を目前に控えたところで、ある大学からスポーツ選手の枠での合格通知が届いた。第一志望の大学ではなかったが、Cさんは「高考」の結果にかかわらず進学先があることに安心しきってしまい、つい気が緩んでしまったのだという。結果として志望していた大学の合格ラインには届かず、すでに合格していた大学への進学が決まった。

 Cさんは、生まれ育ったX省を離れ、Z省で新たな生活を送ることになった。しかし「高考」で全力を尽くせず、「選択できる大学の中で一番下の大学」に進学することに心残りがあった。はじめて進学先を訪れたときには、ほかの有名な大学と比べて小規模なキャンパスを目の当たりにして、Cさんの心は沈んだという。ちょうどその頃、入学を辞退する人がいるという噂も流れており、Cさんにも退学の選択肢が頭をよぎった。入学後は人的資源管理について学びながら、大学の水泳チームで活躍したが、「大学をやめたい」という思いは日に日に増していった。Cさんは退学こそしなかったものの、水泳チームをやめるという決断を下した。8年にわたる競技生活に終止符を打ったのは、大学1年の課程を終えた頃だった。


はじめて大学に入るときに、こういうキャンパスがすごくちっちゃいですから、だから私の心の中には、この前に比べた学校は、X大学とか、ほかのすごく有名な大学です。だから、自分の努力していない原因で選択できる、この一番下の学校を選びました。「985」ではない大学で、私は選択できる学校の中で1番下の学校を選択しました。(中略)だから、大学入る前に学校をやめるという感じです。そして、こういう噂が実は他の普通の学生は、みんながこういうキャンパスを見る時に、直接に学校を辞めるという人もいます。だから、こういう噂を聞いて、たぶん自分も、そうしたい感じがだんだん生み出しました。

Cさん

−−入学したときから、そういう(退学したい)気持ちは感じていて?

筆者

はい。そして、こういう考えはだんだん大きくなりました。自分が実は、本当にこの以降人生は、体育の仕事をしたくないです。

Cさん


2.3. 「体育の人」というレッテル

 Cさんが、大学の退学やチームからの離脱といった思いを強くした背景には、大学卒業後の職業選択について考える時期が差し迫っていたことがある。当時のCさんには、水泳の指導者として働くことが選択肢にあり、周囲から期待されてもいたが、それは心から望んでいたことではなかった。この頃のお話を伺っていた最中、Cさんは「話しておきたいことがあります」と前置きをした上で、「実は子どものときから、自分が『体育の人』という身分があまり好きではないです」と胸の内を明かした。スポーツで国家に認められるほどの成績を残したCさんが、「スポーツ選手」としての自己を否定的に捉えていたことは衝撃的である。

 Cさんが、「体育の人」であることに好意的になれない理由として真っ先に挙げたのが、中国の学歴社会だった。Cさんの物心がつく頃には、中国の高学歴化は進展しており、すでに学歴や学業成績がその人を評価する最も重要な指標であるかのように認識されていた。周囲の友人も「勉強できるようになりたい」と幼い頃から口を揃え、いつの頃からかCさんにも「勉強ができる人にならなくては」という意識が芽生えた。加えて、Cさんの親族には教師や大学教授が多数おり、何よりも教育を重視するという考え方がとりわけ色濃かった。そうした環境の中でCさんは水泳を続けたが、周囲の人々から次第に「体育の人」というレッテル[2]を貼られていくことを感じたという。学歴社会の中国において「体育の人」であることは、すなわち「勉強ができない人」を暗に示していた。水泳の成績を親族や周囲の大人に褒められることはあったが、「学業の成績こそが最も大切」というかれらの本心を、Cさんはひしひしと感じとっていた。


水泳のときに、私には身分が貼られました。私が体育の学生で、体育が強いで、そして将来もコーチのような人になりそうだという身分が、私の体に貼られました。そしてみんなもそのように感じていました。(中略)私が「体育の人」で、でも心の中ではあの子(Cさん)は勉強ができないという感じになりました。(中略)だから、私は体育をやめたいです。[3]

Cさん


 ここで強調しておきたいのは、Cさんは決して水泳そのものに嫌気が差していたわけではないということだ。別の語りの中でCさんは、プールや水中の世界、そして水泳に打ち込む環境全体を「桃源郷みたいなもの」と表現した。仲間やコーチとの関係は心地よく、泳いでいるときは一切のストレスを忘れていたという。しかし、プールから離れて今後の職業について考えたとき、水泳にかかわる仕事をすることは「嫌な感じ」になったそうだ。


2.4. 自分を「証明」するための留学

 Cさんが水泳チームを離れる決定打となったできごとがあった。当初、Cさんは大学を退学して日本へ留学することを希望しており、進路について指導教授に相談したときのことである。指導教授はCさんの話を聞くや否や、「スポーツ選手枠の学生はほかの学生よりも学力が低い」ことを理由に、「退学や留学をしたところであなたが成功するとは思えない」と一蹴した。Cさんの悔しさは頂点に達し、他者より劣っていると見なされた学業で「自分を証明しよう」と決意した。指導教授の承諾がもらえなかったため退学はしなかったが、それまで水泳に費やしていた時間をすべて学習に充てることにした。そして「学業で自分を証明する」ための具体的な目標として、日本の大学院への進学を掲げ、語学にも意欲的に取り組んだ。

 「学業で自分を証明する」手段に留学を選んだことにも、やはり中国の「超学歴社会」は関係していた。大卒者の人口が増大した中国では、大学院入試もまた過酷な競争となる。中国の大学院入試は「高考」と同様に年に一度きりであり、筆記試験では複数の科目が課される。そして、筆記試験の得点が国家・大学・専攻がそれぞれ定める合格ラインに達さなければ、面接試験には進めない。今や大学院入試の「浪人」も当たり前となり、1年目の受験は「一戦」、2年目は「二戦」と称されるほどだ。加熱する競争を背景に、中国を離れて外国で学位を取得しようとする若者は増加した。Cさんも同様であり、外国語を身につけて留学すれば、中国で合格できる大学よりもレベルの高い大学[4]に進める可能性が大きかった。

 Cさんが通っていた大学では、留学する学生がほとんどいなかったため、Cさんは自分自身のことを「特別の存在と意識してうれしい感じ」になったと話した。日本語が上達していくにつれて、周囲の学生から日本語の質問をされることも増えていった。周囲の人々の自分へのまなざしが、「体育の人」から「学問の人」へと移り変わっていくことを感じた。Cさんは「自分は体育だけではなくほかのこともできるという感じにしました」と当時を振り返った。


実は私の学校は留学する人が少ないです。だからその際には、自分が特別の存在と意識して、ちょっと心の中にも楽じゃないかな。たぶん、ちょっと嬉しい感じです。そして自分が日本語もだんだん話せることになって。だからちょっとこういう雰囲気が、みんながだんだん体育学生から、日本に行く人、勉強ができて日本語も話せて。だから周りの人が、こういう日本語どう話しますか、そしてこういう疑問だんだんに、移しました。だから、だんだん体育から文学とか学問のことに移る感じになりました。

Cさん

−−幼い時から学力が1番だ、成績がいいことが1番だってことで、体育で証明するというよりも、学力で証明したかったんですか?

筆者

はい、そうです。この前には、高校の時に自分の担任の先生も、自分が体育で、体育の成績で大学に入ることがちょっと不思議ですから、彼たちもこういう考えで、そして裏の道みたいのを選択する人ですから、みんながもし私が今彼たちに聞いて、その際には彼たちが私にちょっと大したことがないような感じがあります。こういう体育の成績でこういう大学になって、Cさんがあまり強くないという感じになりました。でも今は、もし高校のときに話して、私が日本語も話せる、そして日本のいい大学に入りましたという話をしまして、彼たちはたぶん、Cさんは体育ではなくほかの勉強のことも強いと話します。

Cさん


2.5. 「証明」はつづく

 2022年、Cさんは晴れて日本の大学の修士課程に進学し、「学業で自分を証明する」という目標を叶えた。「体育の人」というレッテルを剥がした今、Cさんには価値観の変化が訪れたという。それまでは学歴や学業の成績で評価されることが最も大切だと思っていたが、学力に限らず自分が専門とする物事を極めた人こそが強いと考えるようになった。その例として、Cさんはアルバイト先のマネージャーを挙げ、学歴は低くとも高額な月収を得ていることをその根拠とした。


今は、実はこういう感じ(学力が最も大切だという気持ち)があまりないです。人生のことをだんだん見て、ちょっとどっちの専門で、一番いい人になったら、たぶんすごい人です。

Cさん

−−何においても一番になるのが重要?

筆者

はい、そうですね。今、アルバイトのときに、マネージャーの月収が〇〇万以上ですから。だから、こういう人がすごくいいです。すごく強いです。でも彼たちは大学のレベルも低いです。だからだんだん、こういう大学以外のことが強い人を見たら、たぶんこういう人になったらいい。

Cさん


 一方で、「今でも何かで自分を証明したい気持ちに駆られることはありますか」という問いに対して、Cさんは「ありますね。両親とか、ほかの友達に証明する」と答えた。Cさんは、来日してから修士課程に進学するまで、ほかの中国人留学生よりも2年ほど多く時間を費やしたため、その2年間が有意義であったと「証明」したいと語った。そのための手段として、博士課程に進学すること、「よい」企業に就職すること、両親と同じ国営企業の管理職に就くことの3つを挙げた。

 このようにCさんは、来日と大学院への進学を契機に、それまでの学力一辺倒の価値観から抜け出せたと語ったが、筆者はCさんの価値観の本質的な部分は変化していないと考える。そもそも中国の社会において学業が最も重要視されているのは、大学卒業後に「よい」職に就き、「よい」人生を全うするためだろう。Cさんも同様に、社会的に「よい」とされる進路を選択することで、自分自身の「証明」を続けようとしていた。Cさんの「証明」は、かつてCさんが苦悩していた学力を偏重する価値観と地続きの、現代の中国社会に共有された画一的な「ものさし」に規定されているように思われてならなかった。



[1] ほとんどの大学が国立大学である中国では、「高考」の得点に基づいて、「一本」「二本」「三本」と大学のランクが分けられている。最も難易度が高いのが「一本」の大学だが、その中にもいくつかのランクがある。最も優秀であるとされる大学は、「985工程」の対象となった大学で、清華大学や北京大学などのトップクラスの39大学が該当した。その次のランクが「211工程」の対象となった大学で、中国全土には113大学が存在した。2019年11月以降、「985工程」と「211工程」は、「双一流」と呼ばれる教育計画に統合された。

[2] Cさんは「身分」と発言した。

[3] 中国の学歴社会や生育環境のほかに、Cさんは自身の体格や性格が「体育の人」とはかけ離れているように感じていたことや、スポーツを専攻しなかったことでコーチとしての実力が不足しているように感じていたことも、「体育の人」を受け入れがたかった理由として挙げた。

[4] 海外大学のレベルを判断する際には、イギリスの教育関連雑誌『タイムズ・ハイヤーエデュケーション』による「THE世界大学ランキング」や、中国・上海交通大学の「世界一流大学研究センター」が公表する「世界大学学術ランキング」などが参照される。


3. 語りの背景

3.1. 「内巻」と「潤学」

 近年の中国の世相を表す言葉として、「内巻」と「潤学」がある。「内巻」は英語の“involution”の中国語訳であり、文化人類学者のクリフォード・ギアーツの著作[5]に由来する。内部資源を活用した発展というポジティブな意味合いもあるが、社会の安定や人口稠密化に伴って、限られた土地の中で内向的な発展を目指すしかない状態のことを指す。数年前、常軌を逸するほどに学問に打ち込む清華大学の学生たちの画像がインターネットで拡散されたことをきっかけに、中国の激しい内部競争を表象する言葉として「内巻」が使われるようになった。脇目もふらずに勉強しなくては名門大学に合格できず、進学後も努力を続けなければ就職できない。そうした中国の「超学歴社会」の様相を端的に表すのに、「内巻」ほど適当な言葉はないだろう。

 他方で「潤学」は、「潤」の発音記号の“run”を英語の“run (out)”にかけて、「逃げる」ことを意味する。多くの場合、それは中国国内から「逃げる」こと、すなわち「海外移住」を示す隠語として用いられる。昨今の「ゼロコロナ政策」によって、政府への不信感が高まる中で流行した言葉ではあるが、「内巻」とも評される厳しい競争社会もまた、「潤学」の一因になっていると推察できよう。


3.2. 「90后」の若者たち

 中国研究者の馬場公彦は、『人民中国』のコラムにおいて、「内巻」の当事者を自認するのは、1990年代生まれの若者だと指摘している[6]。中国では、1990年代に生まれた世代のことを「90后」と呼ぶ。かれらが生まれ育った時代は、1978年から始まった改革開放政策によって、すでに市場経済が浸透しており、競争も激化していた。情報通信技術をはじめとした科学技術の進展も相まって、時代の大きな転換点を目の当たりにしてきた世代だと言える。



[5] クリフォード・ギアーツ(2001)『インボリューション:内に向かう発展』NTT出版.

[6] 人民中国「競争を避ける若者の生き方」http://www.peoplechina.com.cn/zlk/bjsh/202108/t20210827_800256805.html(2023年1月28日最終閲覧).


4. 語りの概念化

4.1. 定量的な価値評価

 インタビューや社会的な背景を踏まえ、中国の若者たちが持つ価値観とはいかなるものか、以下に考察したい。Cさんの語りの中で明白なのは、「超学歴社会」の中国に広がった、学力を最も重視するべきだという価値観だ。どんなにスポーツで輝かしい記録を打ち立てたとしても、その業績は学業成績よりもはるかに劣るものとされた。Cさんは「体育の人」、すなわち「勉強ができない人」というラベリングによって学歴社会の「逸脱者」とみなされ[7]、そこからの脱却を強く望んだ。Cさんは日本の大学院進学を目標に定め、周囲に「学業の人」として認めてもらう(自分を証明する)ことで、「体育の人」というレッテルを剥がした。Cさんは現在、学力に偏った価値観を抜け出すことができたと語ったが、筆者は第2章5節において、 Cさんの価値観は本質的には変化していないのではないかと指摘した。それでは、Cさんや中国の若者が共有する価値観の本質とは、いったい何を指すのか。

 ここでは、現代の中国において、順位や点数といった数字が、人物や物事を評価する際の基準として機能している点に着目したい。換言すれば、中国では、価値の大小や優劣を「定量的に」判断しようとする傾向が極めて強いのである。たしかに日本においても、何かのよしあしを判断する際に、定量的な指標を用いることは多い。学歴社会に関連した例を挙げるとすれば、各予備校が公表する大学や学部の偏差値や、アルファベット順の大学ランクがそれに当てはまるだろう。しかし中国の場合、国家によって明確に大学のランクが分けられており、それは「高考」の得点という絶対的な数値に裏付けられている。大学の入学試験は「高考」の一度きりであり、日本のように大学別の試験はほとんど存在しない。受験生たちは、「高考」の点数や大学のランキングといった唯一絶対の指標によって、残酷なまでに自らの価値を認識する。それは国家の規格に基づいた数値によって物の長短を測定する、「ものさし」のようである。

 BBCニュースは、ある学生が「内巻」の事例として「5000字程度と規定されたレポート課題であっても、よりよい成績のために8000字から10000字、もしくはそれ以上書く学生が多い」と語ったことを取り上げた[8]。学生の意図とは逸れた解釈かもしれないが、レポートの質よりも量によってよりよい評価を求める姿勢は、いかに数字が物事の評価軸としてみなされているのかの証左でもあるだろう。

 Cさんはたしかに、学力こそが最も大切だという価値観からは離れたのかもしれない。しかしそれはあくまでも、「超学歴社会」がもたらした価値観の表層に過ぎないのではないか。加熱の一途を辿る競争によって、点数やGPA、順位といった、誰もが共通に認識できる数字に、若者たちは絶対的な信頼を寄せるようになった。学歴一辺倒の価値観を脱したCさんは、「学歴は低くとも高い収入を得る」人を評価したが、給料もまた数字に基づいた指標である。Cさんが学力のみに重きを置かないとしても、人物や物事の価値は定量的に測ることができるという、根本的な価値観は変化していないと考えられる。


4.2. 「ものさし」に基づいた「証明」

 中国国内の熾烈な競争を背景に、海外留学や移住を選択する若者は増加したが、そうした現象はしばしば「競争社会からの脱出」といった文脈で語られる。たとえばNHKは、2022年10月19日、番組「クローズアップ現代」において、「こうして私は中国を去り、日本を選んだ」と題した特集を放送した。そこでは、日本に移住した中国の若者たちが、競争の緩やかな土地で暮らす居心地のよさや、日本で「自分らしく」生きられていることを話す姿が映し出されていた[9]。

 一方で、中国社会で「よい」とされるライフコースから逸脱しないように、あえて国外を目指す者も多いことは見逃せない事実だろう。中国において何が「よい」とされるかは、数字に基づいて判断されることは先に述べた通りだ。Cさんは、「学業で自分を証明する」手段として日本への留学を志しており、今後も現代中国の評価軸に基づいた方法で「証明」を続けようとしていた。中国の社会で「体育の人」というラベリングをされたCさんは、「超学歴社会」においては「逸脱」した存在だった。留学はむしろ、中国国内で「よい」とされるライフコースの「逸脱」から、そうしたライフコースを「遵守」するための行為だったと言い切ってもよいだろう。「潤学」を志した若者たちは、中国社会の価値観から離れたように見えて、実は画一化された「価値のものさし」を内在させたままであるように受け取ることもできる。



[7] Cさんが、スポーツ選手枠での入学を、「裏の道」と表現していたことも象徴的である。

[8] BBC News 中文「“内卷”与“躺平”之间挣扎的中国年轻人」https://www.bbc.com/zhongwen/simp/chinese-news-57304453?at_custom4=450AE5CA-C395-11EB-8A0F-E4E5923C408C&at_custom3=BBC+Chinese&at_campaign=64&at_custom1=%5Bpost+type%5D&at_custom2=twitter&at_medium=custom7 (2023年1月28日最終閲覧).

[9] NHK「こうして私は中国を去り、日本を選んだ」https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0018/topic060.html(2023年1月28日最終閲覧).


5. まとめ

5.1. 得られた知見

 本稿は、1名の中国出身の大学院生のライフストーリーから、「超学歴社会」によってもたらされた、現代中国の若者の価値観を明らかにすることを目指した。インタビュイーは、「超学歴社会」によって社会に広がった、学力や学歴のみを重んじる価値観によって苦悩し、そうした価値観に基づく不本意なレッテルから脱却するべく、日本への留学を志した。来日を果たした現在、インタビュイーは学力に偏重した価値観を抜け出したと語った。しかし、「超学歴社会」の中国において広がった若者の価値観とは、定量的に人物や物事を評価できるという考え方こそが本質なのであり、インタビュイーもこうした価値観を内在させたままであると考察した。また「潤学」とも称される、中国の若者たちの留学や海外移住は、中国の競争社会や価値観から逃れるための行為として語られることがあるが、むしろ既存の価値観を内在させているがゆえの「潤学」も存在する可能性を示した。


5.2. 今後の課題

 本稿で想定した「若者」は、インタビュイーと同じ1990年代生まれの世代である。先に触れることができなかったが、「90后」の若者たちは義務教育の課程において、知識や受験対策に偏った「応試教育」から、人間性や個性を重視する「素質教育」の導入が行われてきた世代でもある。第4章以降では、若者たちが「超学歴社会」によって学力を偏重したり、数字に価値の基準を求めたりすることを示唆したが、「素質教育」との関連を踏まえて論じるまでには至らなかった。

 加えて、中国の社会を表す言葉として「内巻」「潤学」を取り上げたが、「躺平」という流行語についても併せて記す必要がある。「躺平」は「寝そべり」と訳され、競争社会を忌避する一部の若者たちが、住宅や自家用車などの高額な商品の購入を避け、結婚や出産も望まず、最低限の消費だけで生活を維持しようとする姿勢を指す。本稿では、中国の若者たちは競争社会を抜け出すために留学や移住を決断すると語られがちであるが、むしろ現代中国の価値観に基づいて国外を志向する若者が存在することについて触れた。しかし、「躺平」に代表されるような従来の価値観への反動も事実としてあり、そのことを踏まえた上での論考も求められる。

 また中国の激しい競争の一事例として、「超学歴社会」に着目して論じたが、中国の「競争社会」の真っ只中にいるのは、学生のみに限らない。たとえば2019年には、中国の労働環境を言い表した「996工作制」という言葉がインターネットを中心に流行した。「996体制」は、「午前9時に出勤し、午後9時に退勤し、週6日出勤する」という働き方を意味する。こうした長時間労働の常態化も、競争社会の一端であると捉えることができ、今後は中国の「競争社会」の射程を広げた上で論じる必要があるだろう。


参考文献

小川佳万,小野寺香,石井佳奈子(2020)「中国の高級中学における素質教育の展開」広島大学大学院人間社会科学研究科紀要『教育学研究』1号,pp164-173.

片岡義則(2008)「中国における大学競技スポーツの動向」『神奈川体育学会機関紙』41号,pp29-34.

韓冀娜(2016)「中国における大学院への進学意識:学術学位と専門職学位の比較」『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』 別冊,2巻,23号,pp1-12.

蒋純青(2011)「中国における学歴格差社会」『専修大学社会科学研究所月報』581号,pp32-58.


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